堀越 奈良原Jr.稔也 父譲りの二塁守備&3安打!

[ 2015年7月14日 06:01 ]

<堀越・足立新田>5回1死一塁、足立新田・瀬川の遊ゴロを一塁へ転送し併殺を完成させる奈良原(左)。右は一走・瀧口

第97回全国高校野球選手権東東京大会2回戦 堀越8―1都足立新田

(7月13日 神宮)
 第97回全国高校野球選手権大会(8月6日から15日間、甲子園)の地方大会は13日、32大会で292試合が行われた。東東京大会では、堀越が都足立新田を8―1で下し3回戦進出。西武の奈良原浩内野守備走塁コーチ(47)の長男・稔也(としや)内野手(3年)が、父譲りの二塁守備と3安打で勝利に貢献した。14日は33大会283試合が行われる。

 華麗な守備は父譲りだ。8点リードの6回。1点を返され、なおも1死一塁で打球は二遊間へ飛んだ。父・浩さんから譲り受けたグラブをつけた二塁手の奈良原は、遊撃手・井宮からのトスに体勢を崩しながらも一塁に転送し、併殺を完成させた。追加点を許さず、そのまま逃げ切り7回コールドで勝利した。

 試合後。取材される様子を見ていた父が「ちゃんと話せよ」と冷やかすと「うるさい」と返しながらも「守備では父が目標。似ているところ?捕ってから速いって言われるので、そこですかね」と照れ笑い。笑顔は父そっくりだった。

 二塁、遊撃の守備の名手として西武の黄金時代を支えた父。ただ「高校に入った時は、あまりに下手すぎて息子と気づかれなかった」と笑う。練習を重ね、父の高校時代の恩師である帝京・前田三夫監督が「オヤジよりうまい」と評するまでに守備は上達した。打撃は父とは逆の左打ち。昨秋の東京都大会2回戦で帝京にコールド負けすると帰宅して1時間以上、バットを振り続けた。西武・森や元日本ハム・稲葉の動画を見て研究し、「右足を開くな」という幼少時の父の助言も生かした。3番として、2回に外角球を左前へ流し打つなど広角に打ち分け3安打1打点。小林寛己監督は「とにかく練習ばかりしている。成果が出せたのでは」とうなずいた。

 コーチを務める西武の全体練習がオフになる幸運も重なり、観戦がかなった父は「プレーが雑だね」と辛口ながら「伸び伸びとケガなくやってほしい」と父の素顔をのぞかせた。「精いっぱいプレーしたい」と奈良原。父もプレーした甲子園の土を踏むまで負けられない。 (松井 いつき)

 ◆奈良原 稔也(ならはら・としや)1998年(平10)2月23日、兵庫県生まれの17歳。東京育ちで小2から武蔵野四小ファイターズで野球を始める。武蔵野三中時代は練馬中央シニアに所属し、主に二塁手と三塁手でプレー。高校では2年夏から背番号4でベンチ入り。家族は両親と姉。1メートル69、57キロ。右投げ左打ち。

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