マー君感謝 松坂“名乗らず”土でこねたメジャー球の贈り物

[ 2014年11月25日 07:50 ]

田中は、今季終盤までボールの贈り主が松坂(中)だったとは知らなかった(右は黒田)

 「挑戦」ではなく世界一を目指すチームの「戦力」として海を渡ったヤンキース・田中将大投手(26)はメジャー1年目を終え、何を経験し、何を感じたのか。成績は13勝5敗、防御率2・77。前半戦の快進撃、野球人生で最も大きな右肘の故障、そして9月に復帰を果たした激動のシーズンを15回の連載で振り返る。第1回は、メジャー移籍を表明するまでの苦悩と、その裏に隠された、ある人物からの贈り物――。

 初冬のやわらかな日差しが田中に降り注いでいた。13年11月24日。21万4000人が仙台市内の沿道を埋めた楽天の日本一パレードで「ありがとう」と叫ぶファンに、「ありがとう!」と返す田中の姿があった。

 あれから、ちょうど1年が経過した。田中は現在、東京都内で静かなオフを過ごしている。「とりあえずは休みます。急いで動いても仕方ないので」。メジャー1年目を終え、10月8日に帰国。しばらく休養に充て、11月に入って徐々に体を動かし始めた。キャッチボールは行っていない。心配される右肘には細心の注意を払い、メディアへの露出やイベント出演も極力抑えている。

 「渦中の人」だった1年前は、今年とは比較にならないほど忙しいオフだった。パレードが行われた頃、日米間の旧ポスティング・システム(入札制度)は失効したまま。田中は「(新制度が)決まってからでないと話はしません」と繰り返すしかなく、メジャーへ移籍する意思さえも表明できない日々だった。

 「直前まで何も決まらなかったですからね。その状況でこちらのボール(メジャー球)を触っていたら皆さんにも騒がれるから、触れなかったし。まあ、いろんな障害がありましたから…」

 今でこそ冗談めかしながら振り返ることはできる。だが、当時は移籍先の決定はともかく、新たな戦いに向けて、可能な限り早めに準備したいという気持ちは当然あった。

 そんな中、12月16日に事態が動く。新ポスティング・システムが日米間で合意。上限2000万ドル(約23億6000万円)の入札希望額を設定し、それに応えた大リーグ全球団と交渉ができるという新たな制度だ。翌17日に楽天・立花陽三球団社長と会談し、メジャー移籍の希望を正式に伝えた。同25日に球団が移籍を容認。メジャーへの道がついに開けた。

 ちょうどその頃、田中に思いがけないプレゼントが贈られた。移籍交渉の長期化を見かねた関係者が、メジャー球を1ダース届けた。力を貸したのが松坂だ。新品のボールが6個と土でこねたボールが6個。メジャーでは試合直前に新品のボールをミシシッピ川の川底で採取した土でこねて、滑らないようにしてから試合で使用する。当時、松坂はFAの身で所属球団が決まっていなかったため、レッドソックス時代の同僚・田沢に連絡を取り、試合と同じ状況のボールも半分交ぜたのだ。

 後日、松坂はこう明かした。「やっぱりボールへの対応は一日でも早い方がいい。どうしても最初は“滑りたくない”と上腕部とか、日本時代には考えもしなかった箇所に張りが出る。早くそれを体感した方がいい」。関係者から聞き、田中の元に届けられるまでわずか10日ほど。自らも苦労した松坂からの思いの詰まった1ダースだった。

 当時、松坂は「僕からというのは伏せておいてください」と希望。田中が松坂からの贈り物だったことを知ったのは今季終盤だった。シーズン中にグラウンドで会った際も何事もなかったようにしていた松坂に、田中はすぐに関係者を通じて謝意を伝えた。「本当にありがたかったし、凄く感謝しています。今度お会いした時にあらためてお礼したい」と話す。

 メジャー球を使った練習をスタートさせた頃、既にメジャーでは田中争奪戦がヒートアップしていた。 

 ▽新旧ポスティング・システムの違い 旧制度は大リーグの獲得希望球団が入札し、最高入札額を所属球団が受諾すれば30日間の独占交渉権が発生する。昨オフから適用された新制度は2000万ドル(約23億6000万円)を上限に、あらかじめ所属球団が譲渡金を設定して大リーグ機構経由で通知。この額を支払う意思のある全球団に30日間の交渉期間が与えられる。選手にとっては交渉可能球団が1球団から複数に増えたことで、選択肢が広がり、FAに近いものとなった。

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