川上さんの果たせなかった夢 車のトランクにバット1本入れて…

[ 2013年12月30日 09:01 ]

65年、日本シリーズを制し、胴上げされる川上氏。V9時代の始まりだ

 楽天が巨人を破って初の日本一に輝き、エース田中も無傷の24連勝と獅子奮迅の活躍を見せた。大いに盛り上がった一方で、今年も球界を支えてきた関係者の訃報も多く飛び込んできた。6月に「怪童」と呼ばれた尾崎行雄氏(享年68)、8月にはヤクルトと日本ハムで監督を務めた土橋正幸氏(享年77)と、往年の名投手が相次いで亡くなった。10月には巨人監督として65年から73年まで不滅のV9を達成した川上哲治氏(享年93)も天国に旅立った。

 川上氏の長男で、ノンフィクション作家の貴光(よしてる)氏は「あれはうれしかった」と振り返る。父の死去から2日後の10月30日。東京ドームで日本シリーズ第4戦が行われ、巨人と楽天はユニホームの左肩に喪章を着けて戦った。V9を成し遂げた名将にささげる「追悼試合」だった。

 「こんなことは日本シリーズ中に亡くならなければありえない。巡り合わせとはいえ、本当にありがたい。川上も生きていれば“どっちも頑張れ”と応援したでしょう」。川上氏は長きにわたってNHKの解説者を務めた。楽天・星野監督、巨人・原監督も現役引退後に同局で解説者を務めた時期があり、川上氏は監督としてのイロハを教え込んだ。プライベートでもゴルフによく出掛けた。最期の時期に目をかけてきた後輩同士が、日本一を懸けて争う不思議な巡り合わせだった。

 10月28日、老衰のため93歳で死去した。5月に自宅で転倒し、肋骨を骨折。これが引き金となって持病の心臓病が悪化したが、他界する直前までうなぎなどの好物を食べていた。弔問に訪れた教え子の長嶋茂雄氏から「93歳まで生きて本当に凄い。大往生だね」と声を掛けられた貴光氏も妙に納得できたという。

 巨人の強打者として終戦直後の国民に夢と希望を与えた「打撃の神様」は、巨人監督としても不滅のV9を達成。野球界では「名選手、名監督にあらず」という言葉がよく使われるが、川上氏は選手と監督の両方で燦然(さんぜん)と輝く成績を残した。自身の夢は全てかなえたように思えるが、やりたいことはもう一つあった。監督勇退後は少年野球の育成に力を注いできたが、貴光氏によると、生前の川上氏は「車のトランクにバット1本だけを入れて全国を放浪したい」と話していたという。空き地で遊んでいる子供たちに、何のしがらみもなく野球を教えたい。そんなかなわぬ夢があった。

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