土橋正幸氏死去 硬式経験なしでプロ入り 入団時年俸6万円から高給取りに

[ 2013年8月26日 16:54 ]

亡くなった土橋正幸氏

 プロ野球、東映の主力投手として活躍し、日本ハム、ヤクルトなどでコーチ、監督を務めた野球解説者の土橋正幸(どばし・まさゆき)氏が24日、都内の病院で死去した。77歳だった。東京都出身。土橋氏は筋萎縮性側索硬化症で療養中だった。

 東映入団まで硬式野球の経験なし。東京・日本橋高卒業後は、稼業の鮮魚店を手伝いながら、地元の軟式草野球チームに所属し、東京・浅草のストリップ劇場の野球部の助っ人投手としても東京大会で優勝した。

 周囲も本人もその気になって東映のテストを受けて合格。「3年やってだめだったら、店を継ぐ」と父親と約束した、3年目に21勝を挙げ、入団時年俸6万円の右腕は200万円を超える高給取りになっていた。

 1961年、東映は初優勝目前で南海に敗れた。逆転Vに沸き立つ南海ナインと鶴岡一人監督が両手を挙げて歓喜の胴上げをされるのをただじっと土橋氏はみつめていた。「あと残り試合3つ勝って優勝できれば、残りの人生の勝負事は全部負けても良かったのに…」。竹を割ったようなさっぱりとした性格の土橋氏がベンチに座ったまま、今にも泣き出しそうにつぶやいたというエピソードがある。

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