松井氏 永遠にヤンキー 「一番憧れた場所」NY引退式

[ 2013年7月29日 06:00 ]

引退セレモニーでヤンキースの選手と記念撮影に臨むスーツ姿の松井氏

 巨人、ヤンキースなどで活躍し、レイズを最後に昨年引退した松井秀喜氏(39)が28日(日本時間29日未明)、ヤンキースタジアムで古巣のヤ軍と1日限定のマイナー契約を結んだ。そのまま引退セレモニーに出席。03年から7年間在籍し、09年にはワールドシリーズMVPを獲得してチームを世界一に導いた松井氏は、ニューヨークのファンに万雷の拍手で迎えられ、永遠の「ヤンキー(ヤ軍の一員)」として現役生活にピリオドを打った。

 踏みしめた芝の感触、におい、そしてヤンキースファンの声援。何もかもが懐かしかった。午前11時17分に1日限定のマイナー契約を締結。「ヤンキース・松井」としてヤンキースタジアムに帰ってきた。09年11月4日、フィリーズとのワールドシリーズ第6戦で勝利しMVPを獲得して以来、実に1362日ぶりだった。

 「おそらくきょうの一瞬は、生涯忘れることのない一瞬になるだろうし、僕が一番憧れた場所で選手として終われるのは、これ以上幸せなことはないと思っています」

 セレモニーでは左翼のブルペンからゴルフカートに乗って登場。本塁付近では父・昌雄さん(71)、母・さえ子さん(63)、兄・利喜さん(42)に迎えられた。そして「リタイアメント・ペーパー(引退申請書)」にサイン。盟友ジーターから、背番号55の額入りユニホームが贈られた。

 ヤンキースが、他球団で現役を終えた選手の功績を称える引退式典を行うのは異例。チームを世界一に導いた09年オフのFA交渉で残留を熱望しながら、ヤ軍がオファーを出さずにエンゼルス移籍を決断した。「ヤンキースというチームにずっと憧れていた。在籍した7年間は本当に幸せな日々でした。ヤンキースの選手として正式に引退することができ、これ以上幸せなことはない」。式典前の会見でそう語った時の目元は赤く、少し潤んで見えた。

 03年4月8日、ツインズとの本拠地開幕戦では満塁本塁打で鮮烈デビュー。カーテンコールに手を振って応えた。旧ヤンキースタジアムと合わせて79本の本塁打を放った。不調時にはファンから容赦ないブーイングを受けた。この街の厳しい目が、松井氏の原動力でもあった。「ただワールドチャンピオンを目指してプレーすることを学んだ」。ニューヨークが大リーガー松井を育て、09年には松井がニューヨーカーに歓喜をもたらした。

 引退セレモニーが行われたこの日のレイズ戦は、松井氏の背番号に合わせた今季ホーム55試合目。右太腿痛で戦列を離れていた親友のジーターも「2番・遊撃」で復帰し、松井氏の晴れ舞台を祝福した。「ヤンキースと、ファンの皆さまに本当に感謝したいと思います」。松井氏の生涯の記憶に刻まれるとともに、チームメート、日米のファンの心にも永遠に「ヤンキース・松井秀喜」が刻まれた。

 ▽1日契約(ワンデー・コントラクト)球団の功労者が移籍などにより、そのチームで現役生活を終えられなかった場合、古巣が用意する花道の一つ。1日限定で契約した後、始球式を務めるのが一般的。最近では10年にレッドソックスがガルシアパーラと1日契約を結んだ。また公式戦に出場するケースもある。ジャイアンツで活躍したJ・T・スノーは06年にレッドソックスで現役を終えたが、ジ軍と1日契約を結んで08年9月27日のドジャース戦に「5番・一塁」でスタメンに名を連ねた。初回に守備位置に就き、ファンの声援に応えた後に交代した。

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2013年7月29日のニュース