あきらめない…花巻東、惜敗も3度追いつく粘り届けた

[ 2011年8月8日 06:00 ]

<花巻東・帝京>帝京に敗れ涙の花巻東ナイン。左端は佐々木監督

第93回全国高校野球選手権大会 花巻東7―8帝京

(8月7日 甲子園)
 被災地への思いを全力プレーにこめた。東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県代表の花巻東が帝京(東東京)と対戦。優勝候補相手に、3度追いつく驚異の粘りを見せたが、最後は7―8で惜敗した。それでも最後まで諦めない姿は、復興を目指す地元に勇気と感動を届けた。MAX151キロのエース大谷翔平をはじめ、スタメン9人中6人が2年生。一回り大きくなって再び聖地に戻ってくる。

 突き放されても突き放されても、食らいついた。誰一人として諦めなかった。でも最後は1点届かなかった。左太腿裏の肉離れを抱えながら、4回途中から強行登板した2年生エース大谷は「被災地のためにも勝ち上がりたかった」と号泣。それでも3時間6分の激闘を終えたナインを4万4000人の大観衆が拍手で優しく包み込んだ。

 「岩手の魂を見せつけろ」と選手を送り出した佐々木洋監督も涙をこらえきれない。「声援が凄かった。岩手に明るいニュースを届けることができなかったのは残念でならない。岩手の空もここ(甲子園)の空も同じだった」。敗れはしたが、思いは遠く離れた地元に伝わったに違いない。

 初回に2点を先制されたが、その裏すぐに同点。3点差の4回にも杉田の2点適時打などで同点とし、6回は無死二、三塁から大谷の左翼フェンス直撃の2点適時打で三たび追いついた。プロ注目の伊藤を攻略。相手を上回る12安打を放った。

 激動の日々を乗り越えてたどり着いた舞台。震災では部員3人が家族を亡くし、6人が家を流された。大槌町出身の捕手・佐々木隆の祖父母は行方不明のまま。背番号15の佐々木毅は祖父を亡くした。震災直後は避難所に家族の安否確認に回る日々。佐々木隆は父・正則さんの釜石市内の会社も流され、佐々木毅とともに「野球をやめて働こうか」と相談し合った。岩手大会開幕直前の7月4日には、2年前に西武・菊池らとともに甲子園春準優勝、夏4強を経験したOBで、日体大野球部2年の佐藤涼平さんが自殺した。深い悲しみに包まれる中、甲子園切符をつかみ取り、夢の舞台で力の限りプレーした。

 佐々木隆は父から「続けることで何かを伝えられるのでは」と背中を押された。送球ミスもあり「自分のせいで負けた」と涙したが「野球を続けて良かった。おじいちゃんとおばあちゃんもどこかで見てくれていたと思う」と空を見上げた。

 チームは2年生主体。岩手大会でわずか1回2/3の登板だった大谷は下半身に力が入らない状態でも、甲子園初登板で最速150キロを記録した。「今度は万全な状態で甲子園に戻ってきたい」。来年は勝利を――。強い信念を持つ花巻東ナインなら、その夢はかなうはずだ。

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2011年8月8日のニュース