国技館で北の湖前理事長協会葬 祭壇は「日本一」富士山

[ 2015年12月23日 05:30 ]

弔辞を述べる八角理事長

 11月20日に62歳で死去した大相撲の元横綱で、日本相撲協会の北の湖前理事長の協会葬が22日、東京都墨田区の両国国技館で営まれた。現役力士や親方、各界著名人に一般ファンも合わせて約2500人が弔問に訪れ、偉大な昭和の大横綱との別れを惜しんだ。

 最後まで愛する相撲界全体を見守っていた。国技館内に設営された高さ約5メートルの祭壇は、北の湖前理事長が「日本一だから」と好み、絵を描くことも多かった富士山を白い菊の花でかたどったもの。その山裾に21日に授与された従四位の賞状と旭日重光章が飾られ、遺骨は「見渡せるように」(玉ノ井広報部副部長)山頂に置かれた。

 縦2メートル70×横1メートル80の巨大な遺影の前理事長はりりしい表情だった。「笑っている写真がなかった」(同副部長)のは、土俵上では常に厳しい態度で臨み「憎らしいほど強い」と言われた前理事長らしかった。

 史上最年少21歳2カ月で横綱となり、歴代5位の24度の優勝を誇った大横綱の旅立ちに際し、相撲界のみならず、各界から多数の弔問客が訪れた。安倍晋三首相は公務で参列できなかったが、世耕弘成官房副長官が弔辞を代読し「本当に本当に強かった。北の湖を見ずして午後6時はやって来ない。同年代の私にとってはそれが日常のことでした」としのんだ。交流のあったプロ野球巨人前監督の原辰徳氏は「我々の時代の大ヒーロー。とにかく強かった。さん然と輝く力士であり、理事長でした」と振り返った。一般のファンも平日にもかかわらず約1600人が最後の別れに訪れた。

 葬儀委員長を務めた八角新理事長(元横綱・北勝海)は「北の湖理事長の長年の偉大な功績に報いるためにも、一日も早くこの深い悲しみから立ち直り、協会員が一丸となって努力していくことが何よりの供養になる」と決意を述べた。最後は現役力士と親方衆が国技館の前に整列し、北の湖前理事長の遺骨を乗せた車を静かに見送った。

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2015年12月23日のニュース