新生藤島部屋「脱・貴ノ花」で本格始動!

[ 2010年10月6日 06:00 ]

藤島部屋で指導する藤島親方

 前師匠の武蔵川親方(元横綱・三重ノ海)から藤島親方(元大関・武双山)に継承され、生まれ変わった大相撲の藤島部屋(東京都荒川区)が5日、本格始動した。かつての名大関・貴ノ花(故人)が東京都中野区に創設し、若貴兄弟らを育てた藤島部屋が違う一門で復活することになり、同親方は「日暮里にある藤島部屋と言われるようにしたい」と宣言。伝統の厳しい稽古を継承し「脱・貴ノ花」に意欲を見せた。

 張り詰めた緊張感と師匠の厳しい声は、武蔵川部屋時代と変わらなかった。師匠が代替わりして生まれ変わった藤島部屋の稽古始め。9月29日まで師匠だった武蔵川親方と新師匠の藤島親方に見守られ、幕内・武州山、垣添や十両・雅山らが激しく火花を散らした。

 新師匠は身動きひとつせずにらみ続け、十両・翔天狼には「全然、手をついていない。腰が割れていない証拠だ!」と声を荒らげるひと幕もあった。申し合いが終わると土俵に下りて親身にアドバイス。玄関にあった「武蔵川部屋」の看板が外されたのを確認すると「自分も厳しい稽古で育てていただいた。部屋の中身は変わっていないので、三重ノ海イズムを受け継いでいきたい」と抱負を口にした。

 部屋付きだった藤島親方がその名跡のまま部屋を継承したため、元大関・貴ノ花が東京・中野新橋に部屋を構えた藤島部屋は17年ぶりに復活することになった。一門は違うものの、若貴兄弟ら数多くの名力士を輩出した“ブランド力”は健在で「中野新橋に部屋があるのですか?」と間違えられることがあるという。新師匠は「藤島の名跡が偉大すぎますが、今後は“日暮里”にある藤島部屋だと思ってもらえるように頑張るしかない」と独自の色を出すことを宣言した。

 前身の武蔵川部屋は藤島親方をはじめ、横綱・武蔵丸、大関・出島、雅山らの強力な陣容を誇り、藤島勢と覇を競ってきた。「部屋は一時代を築いた。それを絶やさないようにしなければならない」。貴ノ花、三重ノ海という偉大な先輩の重圧を感じながら、藤島部屋が新たな歴史をスタートさせた。

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2010年10月6日のニュース