「黒い稲妻」トニー・ザイラーさん死去

[ 2009年8月25日 20:04 ]

トニー・ザイラー氏

 イタリアのコルティナダンペッツォで開催された1956年冬季五輪で、初のアルペンスキー3冠王となったオーストリアの往年の名選手、トニー・ザイラー氏が24日、インスブルック市内で死去した。73歳だった。地元キッツビューエルのスキークラブが25日に「長い間、闘病生活を続けてきたザイラー氏が亡くなった」と発表した。

 ザイラー氏はアルペンスキーが滑降、大回転、回転で実施されていた56年五輪で、3種目とも圧倒的な強さで金メダルを獲得し、初の3冠王となった。この大会の回転で、日本の冬季五輪史上初メダルとなる銀メダルを獲得したのが国際オリンピック委員会(IOC)副会長の猪谷千春氏だった。68年グルノーブル冬季五輪では、地元フランスのジャンクロード・キリー氏が2人目の3冠王となった。
 引退後はアルプスの村を舞台に、スキーの名手の主役ザイラー氏が大活躍する映画「黒い稲妻」「白銀は招くよ!」などにも出演。黒髪に黒い目の同氏は日本にも多くのファンをつくった。
 母国オーストリアのスキー界の発展にも大きく貢献。85年にはIOCから五輪オーダー(功労章)が贈られた。

 ≪猪谷千春氏「残念…弟のように思っていた」≫コルティナダンペッツォ冬季五輪の男子回転で2位に入り、冬季五輪日本初のメダルを獲得したのが猪谷千春・現国際オリンピック委員会(IOC)副会長(78)だった。猪谷副会長は「彼がいたから金メダルを取れなかったが、そのおかげで親友となった。弟のように思っていた。非常に残念」とかつてのスター選手の死を悼んだ。
 同副会長は、圧倒的な強さを見せた3冠王の全盛期を「屈強で、スキー界では今のボルト並みの選手」と世界陸上選手権で短距離3冠を獲得したウサイン・ボルト(ジャマイカ)に例え「背が大きかったが、細かいテクニックもあった。大技も小技も持っていた」と振り返った。
 映画などで活躍した引退後も親交は続き「甘いマスクで日本にも多くのファンがいた」。2年前、14年冬季五輪招致で、猪谷副会長はIOCの評価委員長としてザルツブルクを訪問した。往年の名選手は母国の候補都市をアピールする側だったが、立場を超えて旧交を温めた。それが、2人が会った最後の機会となったという。

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2009年8月25日のニュース