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リオ五輪代表MF南野 世界で戦う原点は4歳で見たバティ

[ 2016年7月30日 11:00 ]

ゼッセル熊取時代にトロフィーを持つ南野(中央下)

リオ五輪日本代表戦士の分岐点

 テレビ画面を食い入るように見た。幼稚園が終わり、園庭で実施されるサッカースクールが始まるまでの時間。バスが園内を出入りして危険なため、子供たちは部屋に入れられてサッカーのビデオを見ていた。

 映し出されていたのは「FIFA W杯 フランス テクニカルアナリシス」。アルゼンチン代表FWバティストゥータの動きの質など、ややマニアックな映像にほとんどの子供が飽きてくる中で、大きな怒声が響き渡った。「おまえらうるさいぞ!俺見てんねんから静かにしろ!」。まだ4歳の南野拓実だった。

 小学生時代に在籍していたゼッセル熊取は、幼稚園から小3までのサッカークラブを前身としており、そこに3歳上の兄・賢太と一緒に南野が来ていた。当時から知る杉山恵三代表理事(45)は「必死にビデオを見ていた」と振り返る。試合になれば、全員を均等に出場させるため交代させると、一目散にベンチに駆け寄った。「なんで交代させるん。僕サッカー好きやねんからもっと出して!交代したくない!」。手を焼くこともある一方で、これだけの自己主張を園児でするのは、後にも先にも南野だけだった。

 ゼッセル熊取では週3回の練習に土日の試合。家に帰れば、ガレージで賢太と1対1を繰り返した。実際にプレーする前に、南野は頭の中に無数のイメージを詰め込んでいた。中学入学を機にゼッセル熊取からC大阪U―15に進む頃、南野の父が杉山さんのもとを訪れ「もう見ないんで使ってください」と大量のビデオを持ってきた。W杯のハイライトやゴール集。特にブラジル代表FWロナウドが好きだった南野が、小学生時代に自宅で何度も見ていたものだった。テレビの中の世界の技が、世界で戦う原点だった。=終わり=

 ◆南野 拓実(みなみの・たくみ)1995年(平7)1月16日、大阪府生まれの21歳。ゼッセル熊取FCからC大阪U-15、同U-18を経てトップ昇格。プロ1年目に29試合出場5得点でベストヤングプレーヤー賞を受賞。15年1月にオーストリア1部ザルツブルクに完全移籍。国際Aマッチ2試合出場無得点。1メートル74、67キロ。利き足は右。

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2016年7月30日のニュース