藤田菜七子が電撃引退 スマホ持ち込みが引き金 “女性騎手でもやれる”パイオニアとして功績は大

[ 2024年10月11日 06:56 ]

藤田菜七子
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 JRAの藤田菜七子騎手(27=美浦・根本)がJRAに引退届を提出したことが分かった。11日、師匠の根本康広師が明らかにした。

 16年3月デビュー。16年ぶりに中央競馬に誕生した女性騎手として注目を集め、後進の女性騎手を次々と誕生させるきっかけとなる活躍を見せたが、8年半の騎手人生に電撃的に幕を下ろすこととなった。

 きっかけは10日にJRAが発表した、調整ルーム居室内への通信機器(スマートフォン)持ち込みによる、騎乗停止にあったと言わざるを得ない。11日から裁定委員会の議定があるまで藤田は騎乗停止となった。

 藤田が競馬界に残した功績は大きい。増沢由貴子(旧姓牧原)の引退で不在となっていたJRA女性騎手。3年ぶりに誕生したのが藤田だった。

 16年3月、まずは川崎競馬でデビュー。初勝利を前にG2のスプリングS(モウカッテル9着)に騎乗するなど周囲のバックアップも手厚かった。3月24日の浦和3R(アスキーコード)で初勝利。中央、地方通算36戦目だった。

 JRA初勝利は4月10日の福島9R、サニーデイズ。2番手追走から早めに仕掛けて押し切った。これが04年6月20日に牧原が勝って以来、約12年ぶりのJRA女性騎手によるJRA白星となった。

 飛躍したのは19年。フェブラリーSでJRA女性騎手として初めてG1に騎乗。コパノキッキングで豪快に追い込んだが5着だった。しかし、この経験が生きる。10月2日の大井・東京盃をコパノキッキングで優勝。ダートグレード競走を初めて制したJRA女性騎手となった。

 そして12月8日の中山G3カペラS。ここもコパノキッキングで快勝。JRA女性騎手として初めてJRAの平地重賞を制した。

 藤田が競馬界に与えた影響は大きく、21年には永島まなみ、古川奈穂。22年には今村聖奈。23年には小林美駒、河原田菜々。24年に大江原比呂と女性騎手が次々と誕生するきっかけをつくった。UAE、マカオ、スウェーデン、英国、サウジアラビアなど、呼ばれれば海外に積極的に遠征した。

 藤田が出てくるまでは「女性騎手に競馬は厳しい」という声がファン、関係者の間でも支配的だった。それを壊してみせたのが藤田だった。抜群のスタートセンス。美浦のある騎手は「菜七子を女性だから(騎乗ぶりが)ダメという目で見たことはない」と話した。

 今年7月10日には、かねて交際していたJRA職員と結婚することを発表。結婚後も登録名「藤田」のまま騎手生活を続けるとしていた。「結婚の時に“引退”は全く頭をよぎりませんでした。ジョッキーとして成し遂げていないことがたくさんあります。結婚を機に一層、競馬に精進したい」と話していたが、不本意な形で幕を下ろすこととなった。

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