【浜田剛史 我が道13】4度目の骨折 お世話になったヒット漫画の原作者
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いつまでも、あると思うな、親と金。ないと思うな、運と災難。
オレが今も、大事にしているこの言葉を実感したのは、このころでした。
3度目の骨折でボクシングをやめる決断をしたオレを、本田明彦会長、マネジャー(長野ハルさん)が一生懸命、引き留めました。「もう、やめるとは言えない…」。やめないのなら、どうするか。左拳にいいと思うものを、一つ一つやっていこう、という気持ちになりましたね。
食事。右拳や体を鍛える。3度の骨折は、災難ではなく、強くなるための「運」なのかと思いながら。それでダメなら、諦めもつく。ある意味、逃げ道をなくすやり方でもあったわけです。
3度目の骨折から半年後ぐらいでした。1983年(昭58)1月に決まっていた復帰戦の1週間前ぐらいでしたね。後の日本ライト級王者・シャイアン山本(国際)とのスパーリングで、4度目の骨折をしました。
シャイアン山本はうまい選手ですから、サウスポー対策の左アッパーを打ってきたわけです。「あれ?オレに生意気なことするな」と思いましたね。試合も近かったので「ちょっと試してみるか」と左をバチーンとやったら、頭に当たった。あー、やったなと。4度目も亀裂骨折でした。
ただ、4度目は、3度目ほど深刻にはならなかった。3回あることは4回あるだろう。すでに、いいと思うことは何でもやろうと、考え方は変わっていましたから、それを続けていくだけでした。
骨を強くするため、カルシウム、タンパク質を取る。ホウレンソウなどを食べ、牛乳も飲みました。「美味しんぼ」の原作者で、オレの兄貴分の雁屋哲さんには、本当にお世話になりました。
酢が、拳にいいとも聞きました。本田会長か、マネジャーが橋渡ししたんでしょう。ある日、ライオン古山さん(笹崎、元東洋太平洋ジュニアウエルター=現スーパーライト=級王者)から電話がありました。
古山さんは、10年も拳の痛みに苦しんだ。それが、手を酢に漬けて治った。ただ、痛みがなくなったときは、自分のボクサー人生が終わっていたと。
酢がいいとは、おふくろや、働いていたKKベストセラーズの岩瀬順三社長からも聞いていました。1瓶1900円の「ライスビネガー純粋玄米酢」を取り寄せ、毎朝、ロードワーク後の30分、左拳を浸しました。1瓶は3日でなくなりました。
リングネームも変えました。本名の「剛」で戦ってましたが、おふくろから、2度目の骨折後に「剛の10画はいいことも悪いことも繰り返す」と言われていました。「史」を付けて15画にした方がいいと。運勢は信じない方ですが、復帰戦前にリングネームを変えました。今は本名も「剛史」です。
◇浜田 剛史(はまだ・つよし)1960年(昭35)11月29日生まれ、沖縄県出身の65歳。沖縄水産高で高校総体王者。帝拳ジムからプロデビューし、84年12月に日本、85年7月に東洋太平洋のライト級王座を獲得。86年7月にレネ・アルレドンド(メキシコ)を衝撃的な初回KOで破り、WBC世界スーパーライト級王座を獲得した。戦績は24戦21勝19KO2敗1無効試合。現在は帝拳ジム代表。
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