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【浜田剛史 我が道7】寝ても覚めてもボクシング マネジャーが隣に住み…生活筒抜けで

[ 2026年1月8日 07:00 ]

上京後に就職したKKベストセラーズの岩瀬順三社長(右)と
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 1979年(昭54)3月1日が、沖縄水産高の卒業式でした。2年生のプロ入り騒動以降は真面目に出席しましたから「生活教育活動賞」。生活態度がいいということです。まあ、他の生徒があまりよくなかったですからね。

 3月4日、上京して北区王子の帝拳ジムの合宿所に入りました。元WBA世界フライ級王者で、当時は帝拳唯一の世界王者、大場政夫さんがいた部屋と聞きました。合宿所といっても部屋は1つ。風呂はジムのシャワー、洗濯はコインランドリー、電話とテレビは事務所で。食事はジムが契約する近所の食堂という生活でした。

 マネジャー(長野ハルさん)が、小さな庭を挟んだ隣に住んでいたので、わたしの生活は筒抜けでしたね。午後10時就寝の決まりでしたが、沖縄からの電話で10時を過ぎたりすると、翌日は口を利いてくれませんでした。

 まあ、そうでなくても、ボクシング以外はできない生活でした。朝5時半に起きてロードワーク10キロ。戻ってジムで筋トレして、7時から隣の喫茶店で朝食。KKベストセラーズという出版社に就職しましたから、10時出勤で午後4時退勤。ジムワークが8時ぐらいまでで、洗濯と食事でもう夜10時です。

 仕事も半分、肉体労働でした。出版社の倉庫で、トラックで運ばれてくる本を積み降ろしするのですが、40冊100セット、計4000冊をパレットに移し、フォークリフトで運ぶ。筋トレになりましたね。昼休みは、弁当を食べて寝てました。

 王子から早稲田の出版社までは都電荒川線で約30分。朝は座れませんが、帰りは始発だから座るとすぐに眠れました。するとボクシングの夢を見るんですね。現役時代の夢はボクシングばかり。寝ながらパンチを繰り出して、ハッと目が覚める。前に立っている女子学生ににらまれ、カッコ悪くて次の駅で降りたこともありました。

 日曜日は、ロードワークもジムワークも仕事も休み。大体、午後3時まで寝てました。最高で22時間寝たこともありました。まあ、月曜から土曜までオーバーワークだったんでしょうね。1日7時間半の睡眠じゃ、足りなかったんでしょう。

 テレビは日曜以外は見る暇がなくて、見るのもボクシングのビデオだけ。普通の番組で見たのは「演歌の花道」ぐらいですかな。古武士のような生活とも言われましたが、望むも何も、時間的にそうなりますよね。

 そういう生活が始まって1年後、青森から尾崎富士雄(後の日本・東洋太平洋王者)というホープが帝拳に来ると聞いて、じゃあ、アパートを探さないとと、不動産屋に行きました。そしたら、マネジャーに「尾崎はアパート。あなたは合宿所から出さないわよ」と言われましたね。

 ◇浜田 剛史(はまだ・つよし)1960年(昭35)11月29日生まれ、沖縄県出身の65歳。沖縄水産高で高校総体王者。帝拳ジムからプロデビューし、84年12月に日本、85年7月に東洋太平洋のライト級王座を獲得。86年7月にレネ・アルレドンド(メキシコ)を衝撃的な初回KOで破り、WBC世界スーパーライト級王座を獲得した。戦績は24戦21勝19KO2敗1無効試合。現在は帝拳ジム代表。

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