×

【浜田剛史 我が道3】バスケ練習後にスパーリング…親には内緒で強豪校へ

[ 2026年1月4日 07:00 ]

沖縄水産高当時のファイティングポーズ(ボクシング・ビート誌提供)
Photo By 提供写真

 2つ上の兄に、6歳年上の雄二というのがいるんですね。この雄二が、当時は沖縄で一番強かった中央高でボクシングをしていた。沖縄県王者になったぐらい強くて、家でもテレビでボクシングを見ていた。ファイティング原田さんとか、藤猛さんがいて、一緒に見たのが、ボクシングとの出合いですね。小3ぐらいだったです。

 その雄二が、普天間小に野球チームをつくって監督になった。同時に野球チーム対抗のボクシング大会も始めた。拳にタオルを巻いて、見よう見まねでボクシングをしてましたから、ボクシングをやりたくて、野球チームに入りましたね。

 そのころですね。「左」を意識するようになったのは。元が右利きか、左利きか、分からないですが、当時は左利きの王貞治さんがいて、スポーツは左が有利と言われました。字は右、それ以外は左。ボクシングを左構えでやるためです。

 ジムにも行ってました。具志堅用高さんを育てた興南高の金城真吉さんが、那覇でボクシングを教えてたんですね。雄二と一緒に行って練習しました。普天間小の野球チームは、沖縄県で優勝したけど、野球を続ける気はなかったですね。

 普天間中に進学したころ、今度は那覇に沖縄帝拳ジムができた。沖縄初のプロのジムでした。親に内緒で、1人でバスで通ってたんですけど、洗濯物でバレたんですね。ボクシングはさせないと言われ、バス代をもらえない。当時は、往復のバス代が400円ぐらい。ボクシングマガジンが450円でしたから、ジムの月謝とバス代を小遣いから出すのは、無理でしたね。

 中学では、バスケットボール部に入りました。最初は、ボクシングのために体を柔らかくしようと、体操部に入ったんですけど、体操部は準備運動をグラウンドで、女子も一緒にやるんですよ。それを、野球部やバスケ部の連中が見てる。女子と一緒というのが恥ずかしくて、無理でしたね。それさえなければ、体操部でした。

 1つ上の兄に、3歳年上の豊がいるんですが、豊も中央高でボクシングをやっていて、沖縄王者になっています。沖縄帝拳に行けないから、今度はバスケの練習が終わると、豊のオートバイの後ろに乗って中央高に通い、高校生とスパーリングしてました。沖縄で一番ボクシング部が強い高校に進学するつもりだったんです。

 中学にボクシング部はないから、本来、ボクシングの推薦で高校に入学はできない。中央高の顧問の先生の計らいで高校の教頭と面接し、特別にテストなし、授業料なしで入学が内定しました。やっぱり、親には内緒でしたけどね。

 ◇浜田 剛史(はまだ・つよし)1960年(昭35)11月29日生まれ、沖縄県出身の65歳。沖縄水産高で高校総体王者。帝拳ジムからプロデビューし、84年12月に日本、85年7月に東洋太平洋のライト級王座を獲得。86年7月にレネ・アルレドンド(メキシコ)を衝撃的な初回KOで破り、WBC世界スーパーライト級王座を獲得した。戦績は24戦21勝19KO2敗1無効試合。現在は帝拳ジム代表。

この記事のフォト

「井上尚弥」特集記事

「中谷潤人」特集記事

格闘技の2026年1月4日のニュース