「長嶋茂雄だから」究極のプラス思考 スポーツ紙「失策」の見出しにも動じず

[ 2025年6月4日 05:25 ]

長嶋茂雄さん連載「歴代担当記者回想 長嶋さんを追いかけて(1)」

巨人監督時代の長嶋茂雄さん
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 歴代の巨人担当が長嶋茂雄さんの功績、思い出などを振り返る「歴代担当記者回想 長嶋さんを追いかけて」と題した連載がスタート。「ミスタープロ野球」と呼ばれた長嶋さんの知られざるエピソードを紹介する。

 「長嶋茂雄」のステータスを守るため、究極のプラス思考を貫いた人だった。孤独でありながら、弱みは生涯見せなかった。
 番記者時代に失礼を承知で質問したことがある。「現役時にエラーした当日夜、眠れなかったのでは?」。即座に「明け方まで眠れない日もありました。でも睡眠不足だったら翌日に影響する。反省はするけど引きずりはしない」と言われた。だから、スポーツ紙の「長嶋失策」の見出しにも動揺しなかった。

 96年には最大11・5ゲーム差も離された広島を大逆転し、10月にリーグ優勝を達成。記者は夏場以降の試合に一喜一憂したが、長嶋さんは「メークドラマ」と称しナインにハッパをかけ続けた。後日、同年の流行語大賞にも選出された和製英語発案の裏話を明かした。「メークドラマって英訳すると何か分かる?“MAKE IT DRAMATIC”。あえて分かりやすくファンに親しみやすい言葉だったからね」。いたずらっぽい笑顔が忘れられない。

 巨人の指揮官を勇退後、アテネ五輪日本代表監督に就任した理由を聞いて仰天した。なぜいばらの道を再び選択したか尋ねると、想像を超える言葉が返ってきた。

 「パルテノン神殿をバックに、日の丸を掲げるのは私しかいないだろ」

 脳梗塞の症状が落ち着き始めた09年夏、自身が名誉会長を務めていた北海道千歳市の男子ゴルフ「セガサミー・カップ」で、6年ぶりに対面した。カートに乗りながらギャラリーの声援に応え「私はこの病で落ち込む人々に勇気を与えないといけない。だから治す。いや、治してみせる。長嶋茂雄だから」と熱く語っていた。

 決して強がっているのではない。長嶋さんだからこそ掲げた目標に、不屈の精神で突き進む。プラス思考に魅了された周囲も、惜しみなく手を差し伸べる。だから太陽のように明るかった。 (96~98年巨人担当キャップ・伊藤 幸男)

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