渡辺恒雄氏お別れの会に3900人 長嶋さん「天国からも見守って」 王さん「自分の思いを貫き通した人」

[ 2025年2月26日 05:30 ]

祭壇に献花する長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督(読売新聞社提供)
Photo By 提供写真

 昨年12月19日に肺炎のため98歳で死去した巨人の元オーナーで読売新聞グループ本社代表取締役主筆だった渡辺恒雄氏の「お別れの会」が25日、東京都千代田区の帝国ホテル東京で執り行われた。政財界やスポーツ界など各界から約3900人が参列。巨人・長嶋茂雄終身名誉監督(89)、ソフトバンク・王貞治球団会長(84)らが故人をしのんだ。

 「球界のドン」は柔和な表情で参列者を迎えた。渡辺氏の遺影が飾られた祭壇には天皇陛下から贈られた供物料などが供えられた。生前、自身の葬儀のために選定していたというクラシック音楽が流れる。弔辞はなく、参列者は献花台に次々と白いカーネーションを供え、手を合わせた。

 祭壇には「終生一記者」と渡辺氏の哲学も記された。50年に読売新聞社に入社し政治部でエース記者に。球界に関与するようになったのは代表取締役社長・主筆に就任した91年ごろからだった。参列した長嶋氏は若かりし頃に「打者はなんで三塁に走らないんだ」と質問されたことを懐かしみ「野球には全くの素人でした。ただ時がたつにつれ、ルールはもちろんのこと、プロ野球の憲法といわれる野球協約までマスターされました。傍らにはいつも山のような資料があったといいます」と驚きを表した。

 別室では業績を振り返る追悼展も催され、「発言録」も配られた。04年6月に表面化した球界再編問題で日本プロ野球選手会とNPBの交渉中、当時の古田敦也会長について「分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が」と発言したことも掲載。文芸春秋04年12月号の「直接話し合いたいものだ、と思っている。その時、古田君が“たかが辞めたオーナーとは会いたくない”と言わないことを期待する」とユーモラスな言葉も掲載された。

 96年12月に巨人オーナーに就任して「ナベツネ」と称され、世間には「独裁者」のようなイメージも広がった。王氏は「亡くなられるまで、自分の思いを貫き通した人でした。敵もできたでしょうし、いろいろもめたこともあったでしょうけど、男として自分の人生を生き抜いた人という感じがしています」と振り返った。

 長嶋氏は「ご存命であれば、今はファンの皆さまと一緒に叫ぶでしょう。“早く三塁ベースを回ってホームに戻って”」と思いをはせ「天国からも大好きなジャイアンツを見守ってもらいたいです」と故人をしのんだ。球界に、巨人に注いだ強烈な愛情は、未来へとつながっていく。(神田 佑)

 ▼主な参列者 高円宮妃久子さま、長女承子さま、石破茂、岸田文雄、森喜朗、野田佳彦、小池百合子、中曽根弘文、御手洗冨士夫、十倉雅和、林真理子、浅田次郎、長嶋茂雄、王貞治、中畑清、堀内恒夫、江川卓、鹿取義隆、原辰徳、ウォーレン・クロマティ、高橋由伸、阿部慎之助、二岡智宏、桑田真澄、川相昌弘、大城卓三、長野久義、落合博満、榊原定征、川淵三郎、三浦知良、宮本恒靖、八角信芳、北島康介(一部敬称略、順不同)。

 ≪石破首相も出席≫お別れの会には石破茂首相も出席。献花した。その後、首相官邸で記者団に「ジャーナリストとしての強い使命感を持っていた。言論人としての責任をずっと果たしてきた」と追悼した。自身が若手議員だった頃から渡辺氏と交流を持っていたと振り返り「新聞が民主主義の発展に根幹的な役割を果たすと言っていたことは、極めて印象的だった」。岸田文雄前首相、森喜朗元首相らも出席した。

 ≪川淵三郎氏「感謝の意」≫Jリーグの初代チェアマンを務めた川淵三郎氏もお別れの会に参列。渡辺氏の足跡をたどる展示では自身との対談写真も飾られ、SNSで「感激と同時にとてもうれしかった」。渡辺氏とは93年のJリーグ発足当初に激しく対立。「独裁者」と呼び合ったこともある。川淵氏は「渡辺主筆と正面衝突した出来事の数々が思い出され、それが世間の耳目を集めてJリーグ人気に直結した。改めて仏前で感謝の意をお伝えした」とつづった。

 ▼キヤノン・御手洗冨士夫会長兼社長CEO 記者時代から築いた人脈で、社会に大きな影響を及ぼした人でした。とてつもない教養人でもあり、私にとっては仰ぎ見る巨人でした。ぜひ、高いところから日本の行方を見続けてください。

 ▼岸田文雄前首相 最後にお話ししたのは、昨年8月14日に私が退陣表明の記者会見を行った直後。“スパッと気持ちよく辞めた。あんたらしい辞め際だ”という言葉を頂いたと記憶しています。親子2代にわたって深くお付き合いをいただきました。ご恩は決して忘れません。

この記事のフォト

「巨人」特集記事

「大谷翔平」特集記事

野球の2025年2月26日のニュース