将来の夢は監督…松中 男泣き引退会見「3冠王を育てたい」

[ 2016年3月2日 05:30 ]

引退会見で唇をかむ松中

 出場機会を求めて昨季限りでソフトバンクを退団した松中信彦内野手(42)が1日、福岡市内で引退会見を開いた。自ら期限に設定した2月29日までに他球団からのオファーがなかったことを明かし、宣言通りにバットを置いた。男泣きにくれながら将来的にはプロ野球の監督に就くことを目標に掲げ、王貞治球団会長(75)が「松中信彦」を育て上げたように、自らの手で「3冠王」を育成する壮大な夢も口にした。

 涙が幾筋も頬を伝った。気丈に受け答えしていた松中だが、思うように結果を残せなかった現役晩年も変わることがなかったスタンドからの「信彦コール」への思いを問われると、もう我慢できない。涙腺が崩壊した。

 「本当にありがたかったです。最初は“松中”と言われていたのが、そのうち“信彦”にかわった。これだけは僕の宝物というか…」。頭の中では、ファンから注がれた声援がこだましていた。

 前日29日。恩師である王会長に引退を伝え「ご苦労さん」とねぎらわれた。昨年9月29日に退団を表明し、ゴールの見えない航路へ旅立った。灯台となったのは恩師の言葉。「常に言ってくださったのは“二度と無いこの1球”でした。(野球人生は)それをずっとやった。この4カ月は“二度とないこの1日”と思いました」。42歳の肉体を極限まで追い込んだ。

 2月には6球団に電話で売り込んだ。練習参加した新日鉄住金かずさマジックの一員として19日にソフトバンクのキャンプ地に乗り込み、フリー打撃で快音を響かせた。ただ、声は掛からなかった。「それくらいから覚悟はした」。退団会見で「ボロボロになるまでやる」と胸を張った意欲は少しずつ、衰退した。

 これからの夢は伝統の継承。73、74年と2度、3冠王を達成した王会長に師事し、04年に同じ、金字塔を打ち立てた。「王会長に育てられ、3冠王を獲らせてもらった。ハードルは高いかもしれないですけど、3冠王を獲れる選手を育てたい。しっかり、勉強していきたいと思います」。プロ野球史上7人、11度しか達成されていない領域に教え子を連れて行くことが、松中にとって新たな道しるべとなる。

 引退会見場に選んだのは退団後に孤独に汗を流したスポーツジム、トータル・ワークアウト福岡店。「(後悔は)全くないです。この決断は胸を張れる。この終わり方が、ボロボロなのかもしれない」。両親と恵子夫人に3人の息子たちが見守る中、最後は充実感に包まれた晴れ晴れとした表情を浮かべた。 (福浦 健太郎)

 ◆松中 信彦(まつなか・のぶひこ)1973年(昭48)12月26日、熊本県生まれの42歳。八代第一(現秀岳館)では甲子園出場なし。新日鉄君津(現新日鉄住金かずさマジック)時代の96年にアトランタ五輪出場。同年ドラフト2位(逆指名)でダイエー入り。04年に史上7人目(11度目)の3冠王に輝く。15年に19年間在籍したソフトバンクを退団。通算成績は1780試合で1767安打、打率・296、352本塁打、1168打点。1メートル83、97キロ。左投げ左打ち。

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