古川「歴史に名前を残せてうれしい」、ランキングラウンド不調からV字回復で銅メダルW獲り

[ 2021年8月1日 05:30 ]

東京五輪第9日 アーチェリー男子個人3位決定戦   古川高晴7ー3湯智鈞 ( 2021年7月31日    夢の島公園アーチェリー場 )

男子個人で獲得した銅メダルを手に笑顔の古川高晴
Photo By 共同

 男子個人の3回戦以降があり、古川高晴(36=近大職)が3位決定戦に勝利し、銅メダルを獲得した。5大会連続出場の大ベテランは、ランキングラウンドの絶不調からV字回復。12年ロンドン五輪個人銀、今大会の男子団体銅に続き、自身3個目のメダル獲得となった。日本勢の同一大会での個人と団体のメダル獲得は初、個人での2つのメダル獲得は84年ロサンゼルス銅、04年アテネ銀の山本博以来となった。

 終わり良ければ全て良しだ。3位決定戦の最終5セット目、古川の最後の3射目。9点でも勝利のところで、10点を射貫いた。台湾の湯智鈞(とうちきん)が参ったとばかりに首を横に振った。拍手が降り注ぐ。ガッツポーズはない。帽子を取って四方にペコリと頭を下げたところが、気遣いの人らしい喜び方だった。

 「歴史に名前を残せてうれしい。しかも東京で開かれた東京五輪で2つのメダル。日本人では初だと思う」

 組み合わせを決める23日のランキングラウンドでは64人中46位に終わった時は「全然ダメでした」と肩を落とした。関西に残る2人の師、近大の山田秀明監督、金清泰(キムチョンテ)コーチに毎日のように動画を送り、助言を求めた。気持ちもフォームも整え、この日は3回戦からトーナメントに臨んだ。

 無観客でもホームアドバンテージが心強かった。連日、炎天下で運営を支えたボランティア50~60人が1射ごとに拍手を送った。場内に「立ち上がって応援してください」のアナウンスも響いた。「僕の時に拍手が大きかった。いろんな人に支えられた」。声援を力に変え、12年ロンドン五輪の銀に続く個人のメダルを手にした。

 20歳の04年アテネ五輪で初舞台に上がった。身体能力に恵まれたわけではない。青森東高で競技を始めたあと、父・勝也さんが息子からよく聞いた言葉は「好きこそものの上手なれ」だった。毎日、コツコツ練習した。今も朝に3時間、昼に5時間うち、その後にトレーニング。努力で5度の五輪出場を果たした。

 18年に、6歳下の食品会社に勤める女性と結婚した。管理栄養士の資格を持つ最愛の人の助言で、食の意識も変わった。大好きな炭水化物の同時摂取「ラーメン・ライス」も控えた。今年2月には男児が誕生。大会中、スマホにためた画像を見て癒やされた。「子供が生まれた年はいいことがあると言われた。実際その通りになった」。次は24年パリ五輪。まだまだ弓を下ろすつもりはない。

 【古川 高晴(ふるかわ・たかはる)】

 ☆出身地とサイズ 1984年(昭59)8月9日生まれ、青森市出身の36歳。1メートル75、87キロ。

 ☆競技歴 青森東高に弓道部がなく、アーチェリーを始める。高3時の高知国体で個人優勝。近大を経て近大職員。

 ☆偉大な戦歴 04年から5大会連続五輪出場。山本博と並ぶアーチェリー最多回数。12年ロンドン五輪で銀メダル、18年アジア大会で混合金メダル獲得。

 ☆金コーチは兄貴分 金清泰コーチは、韓国代表として00年シドニー五輪団体金メダルを獲得。10年に来日し、古川を一から指導した。逆に古川は、韓国ドラマ好きだったこともあって日本語の先生を務めた。一時は、寝るとき以外はいつも一緒に過ごしたほど、信頼し合う。

 ☆名言家 指導を受けた近大の学生は言葉のチョイスに感心。主なものに「迷ったときは厳しい方を選べ」「天狗(てんぐ)になる代わりに自信を持て」などがある。

 ▽アーチェリー個人 ランキングラウンドで決まった順位で決勝トーナメントを行う。1対1の決勝トーナメント各試合は最大5セットで、1セット3射で20秒の制限時間内に交互にうつ。各セットで得点の高い選手に2セットポイント、同点の場合は両者に1セットポイントが与えられ、先に6セットポイントを挙げた選手が勝利。同点の場合は「シュートオフ」という延長戦で決まり、両選手がそれぞれ1射して得点の高い選手が勝つ。

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