稀勢、相撲人生土俵際…87年ぶり初日から綱4連敗 気迫空回り

[ 2018年11月15日 05:30 ]

大相撲九州場所4日目 ( 2018年11月14日    福岡国際センター )

取組後に支度部屋でカメラのフラッシュを浴び、ぼう然とする稀勢の里(撮影・岡田 丈靖)
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 一人横綱の稀勢の里(32=田子ノ浦部屋)が、屈辱にまみれた。平幕・栃煌山(31=春日野部屋)戦は右から抱えて出たが、逆転の左すくい投げで転がされた。軍配は稀勢の里に上がったが物言いがつき、行司軍配差し違えで敗れた。不戦敗を除く横綱の初日からの4連敗は、11日制だった1931年春(1月)場所の宮城山以来87年ぶり。15日制が定着した1949年夏場所以降では初となった。

 物言いがついた結びの一番。審判団が協議している間、手拍子が湧き起こった。それは稀勢の里の勝利を期待するものだった。審判長の阿武松審判部長(元関脇・益荒雄)が「協議した結果、稀勢の里の肩がつくのが早く、行司軍配差し違えで栃煌山の勝ちと決定いたします」とアナウンスすると、館内は落胆でどよめいた。

 気迫を前面に出しても勝てなかった。左足で踏み込み頭から当たり、左がのぞくと右から抱えた。4日目で初めて攻め込んだが、栃煌山の左すくい投げに体を寄せきれなかった。土俵際は栃煌山の体が飛んでいるようにも見えたが、ビデオ係も間近にいた審判の判断も稀勢の里の負けで一致。16個目の金星配給となった一人横綱は風呂場で髪を洗い、いつもより5分ほど遅く東支度部屋の一番奥に座った。報道陣の7つの質問には無言。立ち上がる前にはタオルを上がり座敷に叩きつけ舌打ちした。それほど悔しい敗戦だった。

 初日から3連敗の横綱が4日目に出場したのは、15日制後は88年秋場所の大乃国(現芝田山親方)に続いて2人目。大乃国は4日目から3連勝するなど巻き返し、8勝7敗と勝ち越した。芝田山親方は「気持ちを切らさないこと。いかに自分に打ち勝つか」と精神面の重要性を説いていたが、同じ二所ノ関一門の横綱は期待に応えられなかった。

 横綱の初日からの4連敗は15日制では例がなく、1931年春場所の宮城山までさかのぼる。大阪相撲最後の横綱の宮城山はその場所で5勝6敗と負け越して引退した。87年ぶりの屈辱により、稀勢の里は休場やむなしというだけでなく、進退に大きな影響を及ぼしかねない状況に陥った。3日連続の金星配給は自身3度目で、これも千代の山のワースト記録に並んだ。

 8場所連続休場から進退を懸けて臨んだ9月の秋場所と比較すると、場所前の稽古は明らかに動きが良かった。一つの白星が逆襲の糸口になるという見方もあるが、1勝が遠すぎる。4日目の出場を決めたのは3日目の夜。師匠の田子ノ浦親方(元幕内・隆の鶴)に「頑張ります」と自ら訴えた。まだ闘争心は残っているのか。和製横綱が相撲人生最大の危機に直面した。

 ▼八角理事長(元横綱・北勝海)開き直って前に出たけどね。5日目にどのような気持ちで臨めばいいか?それは本人しか分からない。

 ▼阿武松審判部長(元関脇・益荒雄)厳しいですね。一番一番しのいでいくしかない。出続けてほしい?それは本人と師匠が考えること。

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