浅田真央“伝説の4分”(1)絶望を救った初めての「頑張れ」

[ 2014年12月16日 09:30 ]

SPが最悪の結果だった浅田を姉・舞さんからの電話が救った

 日本中が泣いた。2月20日(日本時間同21日)、ソチ五輪フィギュアスケート女子フリーで浅田真央(24=中京大)が圧巻の演技を披露した。ショートプログラム(SP)で55・51点の16位という最悪スタートから一転、フリーで自己ベスト142・71点の逆襲劇。表彰台にも届かない6位だったが、集大成の五輪は見る者の心に深く刻み込まれた。あの“伝説の4分”に秘められた物語が今、明かされる。

 携帯電話が鳴った時、浅田は一人、選手村の食堂にいた。2月20日、ロシア・ソチの午前11時ごろだった。前日(19日)のSPの失意を引きずりながら、少し早めのランチタイム。電話に手を伸ばし、通話ボタンを押す。日本で見守っていた姉・舞さん(26)の声が、耳に届いた。

 「今まで頑張ってきたんだから、今の気持ちのまま臨むの、もったいないよ!絶対できるから、やらないと駄目!最後だから、頑張りなよ!」

 SPは冒頭のトリプルアクセルの転倒など、全てのジャンプを失敗。団体(8日)の64・07点を下回る55・51点は、11~12年シーズン以降のワーストだった。まさかの16位。「自分でも、終わってみて何も分からない…」。現実を受け入れることも、原因を分析することも容易ではなかった。

 フリーは翌20日。これまでSP上位6人が滑る最終組が定位置だった浅田だが、SP16位のため4組中2組目での滑走になった。SPを滑り終えた9時間後の午前8時35分に、20日の公式練習がスタート。前夜、なかなか寝付けず、浅田は予定の時間に起きられなかった。バスには間に合ったが、ウオーミングアップなど準備が遅れ、練習に少し遅刻した。

 公式練習の浅田は、ミスを連発した。覇気もなく、顔色も悪かった。日本にいた舞さんは、テレビで練習の様子を見た。いつもの妹でないことは明白だった。「これは、話をしないといけない」。SP後、舞さんは無料通信アプリ「LINE」でメッセージを送っている。「既読」にはなったが、返信はない。だから、電話をかけた。ソチとの時差は5時間。日本の午後4時ごろだった。

 10年バンクーバー五輪。舞さんは現地で浅田を応援した。だが、これ以降、会場で応援する回数は激減し、大会期間中も連絡を取らないように努めてきた。家族と触れることで、どこか甘えてしまう妹を知っていたから。だが、ソチでは自ら定めた“ルール”を破った。「何でですかね。今まで“頑張れ”なんて言ったことなかったのに、自然と出ちゃった」と舞さんは振り返った。

 姉との電話を終えた浅田は関係者に漏らした。「ホッとした」。厳しく、優しい舞さんの激励が、絶望から救ってくれた。ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」で臨んだフリー。浅田の心は、軽くなっていた。=続く=

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