大鵬さん 引退後は不遇 脳梗塞、大麻事件、娘婿解雇 幕内優勝力士出せず

[ 2013年1月20日 06:00 ]

「納谷幸喜氏古希を祝う会」であいさつをする。右は芳子夫人

元横綱・大鵬さん死去

 輝かしい現役時代とは対照的に、親方になってからの元横綱・大鵬さんの相撲人生は不遇だった。

 71年5月の夏場所を最後に引退し、一代年寄・大鵬として同年12月に大鵬部屋を開いた。75年に先代二所ノ関親方(元大関・佐賀ノ花)が死去した際には、一代年寄を返上し二所ノ関部屋を継ぐ決意を固めていたが、「向こうにもいろいろ(事情が)あったのだろう」と結局その話は流れた。

 悲劇は36歳のときに起こった。脳梗塞で倒れ、一命をとりとめたものの左半身マヒの後遺症が残った。リハビリでは病院の廊下をはうことから始めた。元横綱が四つんばいになって動く姿を好奇の目で見る人や「かわいそうに」と指さしながら言う人もいたという。

 「こんなことで負けられない」と懸命のリハビリで復帰し、関脇・巨砲を筆頭に幕内・嗣子鵬や大若松ら14人の関取を育てた。それでも、幕内の優勝力士は一人も出せなかった。

 現役時代のライバル柏戸には、幕内優勝の多賀竜がいただけに、相撲協会退職後は「柏戸さんに追いつけなかったのは残念だった」と話していた。80年には理事に就任。しかし、脳梗塞の後遺症で理事長に推されることはついになかった。96年の理事選では、先代・二子山親方(元大関・貴ノ花)が立候補することで一門内の勢力争いに敗れ、出馬を辞退した経緯がある。

 04年1月1日に三女・美絵子さんの夫で納谷家に婿入りした当時の大嶽親方(元関脇・貴闘力)に部屋を譲り、定年後の05年から相撲博物館館長に就任。だが、ロシアでスカウトした露鵬が、10年に相撲協会の薬物検査で大麻の陽性反応を示し大問題となる。納谷さんは「本人がやってませんと言っているのを信じるのは当然」と擁護したが、露鵬は解雇された。

 さらに11年には元大嶽親方が野球賭博関与で解雇処分を受けた。その後、美絵子さんは離婚し養子縁組も解消。相次ぐ不祥事に心労は絶えなかった。最近は、車いすに乗り酸素吸入のチューブを鼻から外せない状態だった。それでも本場所が始まると毎日テレビを見て、取組に一喜一憂していたという。 

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