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伝説のサッカー番組 三菱ダイヤモンドサッカーが残したもの

トークショーに出席した金子アナ(左から2人目)と二宮元日本代表監督(中央)右端は大仁元会長
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 【大西純一の真相・深層】サッカー番組の草分け、テレビ東京の三菱ダイヤモンドサッカー放送開始50年を記念したトークショーが11月23日、東京都文京区のサッカーミュージアムで開催された。実況を担当した金子勝彦アナや元日本代表監督の二宮寛氏、前日本サッカー協会会長の大仁邦彌氏らが出席して番組が果たした役割などについて語り合った。

 この番組は1968年4月から88年3月までと93年4月から96年9月までの2期、994回放送。70年W杯メキシコ大会やイングランド、西ドイツなどのリーグ戦を前、後半の2週間に分けて放送した。まだ海外の試合を見る機会がほとんどなかった日本のサッカーファンには貴重な番組だった。

 番組開始のきっかけは、67年に三菱化成(現三菱ケミカル)の篠島秀雄社長が英国で開催された日英経済人会議に出席した際、英国BBCでやっていた「マッチ・オブ・ザ・デイ」というイングランドリーグのダイジェスト番組を知ったことだった。東京12チャンネル(現テレビ東京)の番組審議委員をやっていたことから「日本でもこういう番組が必要だ」と同局に掛け合い、三菱グループがスポンサーとなって実現したのだという。

 篠島社長は東大時代にFWとして活躍し、日本代表に選ばれたこともある選手だった。「野球ばかりではよくない。日本が国際化するためにはスポーツを知らないと駄目だ。中でもサッカーだ」と言ってくれたことが大きかった。

 日本がメキシコ五輪で銅メダルを獲得する半年前にスタートしたが、70年代後半から80年代にかけては日本のサッカー界が低迷し、視聴率は厳しかった。それでも海外のサッカーを放送する唯一の番組だった。88年に第1期は終了した。

 衛星放送(BS)が始まり、90年W杯イタリア大会がNHKのBSを中心に放送されるなどして海外のサッカーは身近になったが、68年メキシコ五輪から93年Jリーグ開幕までの日本サッカー界をつないだ功労者だった。

 「ダイヤモンドサッカーが果たした役割は歴史に残る」と大仁前会長も振り返ったが、こういう番組があったことも、サッカーに関わる人の記憶に残しておかないといけないと思う。

 ◆大西 純一(おおにし・じゅんいち)1957年、東京都生まれ。中学1年からサッカーを始める。81年にスポニチに入社し、サッカー担当、プロ野球担当を経て、91年から再びサッカー担当。Jリーグ開幕、ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜、W杯フランス大会、バルセロナ五輪などを取材。

[ 2017年11月25日 10:45 ]

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