守屋浩さん死去…裏方でも活躍、腹を立てても「口汚い言葉を使わない立派な人」

[ 2020年9月23日 05:32 ]

1976年5月、ホリプロで初のマネジャー業を務めた守屋浩さん。後方は男性グループ・ドルフィン
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 「僕は泣いちっち」などのヒット曲で知られる歌手の守屋浩(もりや・ひろし、本名・守屋邦彦=くにひこ)さんが19日午後7時ごろ、静岡県内の施設で前立腺がんのため死去した。81歳。千葉県出身。大手芸能事務所ホリプロの第1号タレントで、1960年からNHK紅白歌合戦に4年連続で出場。76年の引退後はホリプロの社員となり「ホリプロタレントスカウトキャラバン」を発案。榊原郁恵(61)ら多くのアイドルを輩出した。

 76年に裏方に転身した守屋さんは、オーディションで有望な人材を獲得するホリプロの礎を築いた一人でもある。70年代は日本テレビのオーディション番組「スター誕生!」の全盛期。ホリプロは山口百恵さん(61)や森昌子さん(61)を獲得したが、競合他社は多く、狙い通りとはいかなかった。

 そこで始めたのが、全国を回って新人を発掘する「ホリプロタレントスカウトキャラバン」。守屋さんが責任者を務め、芸能界を夢見る少女に会うために全国行脚。榊原や堀のほか、比企理恵(54)、大沢逸美(54)らを発掘した。

 行く先々で、歌手時代を知る女性たちから「ひろしちゃん!」と声を掛けられたという。関係者は「そのたびに照れていたのが思い出されます。歌手時代は突っ張っていた時期もあったが、裏方に回って角が取れた。どんなに腹を立てても、口汚い言葉を使わない立派な人でした」と、その人柄をしのんだ。

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