「なつぞら」山口智子 年を取る楽しさ実感“すべての起点”朝ドラに「感謝し切れない」すずは「驚異的」

[ 2019年6月24日 06:00 ]

山口智子インタビュー

連続テレビ小説「なつぞら」で約31年ぶりに朝ドラに復帰、存在感を放っている山口智子(C)NHK
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 女優の山口智子(54)がNHK連続テレビ小説「なつぞら」(月~土曜前8・00)にレギュラー出演。ヒロインを務めた1988年「純ちゃんの応援歌」(第41作)以来、約31年ぶりに朝ドラに帰ってきた。「年を取るのは楽しい」という境地に至り、その喜びを歌と踊りのアドリブで表現。「人生のすべてのきっかけを頂きました」と朝ドラに感謝している。豪快な明るい女将役で存在感を発揮している山口に、撮影の舞台裏や朝ドラへの思いを聞いた。

 女優の広瀬すず(21)がヒロインを務める節目の朝ドラ通算100作目。大河ドラマ「風林火山」や「64」「精霊の守り人」「フランケンシュタインの恋」、映画「39 刑法第三十九条」「風が強く吹いている」などで知られる脚本家の大森寿美男氏(51)が2003年後期「てるてる家族」以来となる朝ドラ2作目を手掛けるオリジナル作品。戦争で両親を亡くし、北海道・十勝の酪農家に引き取られた少女・奥原なつ(広瀬)が、高校卒業後に上京してアニメーターとして瑞々しい感性を発揮していく姿を描く。

 山口が演じるのは、伝説の劇場「ムーランルージュ新宿座」の人気ダンサーとして一世を風靡した岸川亜矢美。引退後は新宿の路地裏に、おでん店「風車」を開き、女将として店を切り盛りしている。なつの兄・咲太郎(岡田将生)を戦後のマーケットで助け、咲太郎の母親代わりに。昭和32年(1957年)、劇団「赤い星座」の製作部で舞台作りに励む咲太郎、東洋動画のアニメーターに合格したなつと同居。2人を支える存在として、第44回(5月21日)から始まった新章「東京編」のキーパーソンの1人になっている。

 朝ドラ復帰について、山口は「30年ね、ビックリしちゃいますよね。周りから30年と言われて、改めて実感しています」と月日の流れを感じ「NHKに帰ってくると、お母さんのおなかに帰ってきたような安心感といいますか、ホッとする気持ちと同時に、やはり何よりもビシッとしなきゃいけないという緊張感で身が引き締まります」と心境。広瀬や岡田らとの共演には「ピチピチとエネルギーにあふれ、キラキラと美しい若い世代の方たちが、本気でぶつかってくる現場の緊張感に立ち会わせていただくことは、ものすごい刺激になります。私も初心に帰る思いです」と充実した時間を過ごしている。

 第65回(6月14日)でフラメンコを披露。華麗に舞った。20代の頃に勉強し、一時離れていたが、約3年前に練習を再開した。

 「亜矢美さんは元ダンサーで、地球に生まれてきたこの命の幸せを、身体で表現できる役を頂けたことが本当にうれしいです」と喜び「フラメンコ自体、暮らしの中から生まれてきた踊りで、人生の辛苦に直面しても、みんなで心を合わせて歌い踊ることで生きるパワーを生み出していくものです。これは戦中戦後の時代を生きた亜矢美をはじめ、人生を輝かせるために頑張る私たちすべてに共通するテーマだと思います」

 亜矢美にとっては、おでん屋のカウンターもステージ。制作統括の磯智明チーフプロデューサーは「亜矢美は元ダンサーなので、おでん屋の中にいる時は何かしら踊ったり歌ったりしています。毎回、山口さんが『このシーンはこの曲を歌いたい』と、ご自分で当時のことをお調べになって、ご提案してくださるんです。ほとんどが山口さんのアドリブ。基本的にはお店のカウンターの中にいる人なので、立ちっ放しなのも亜矢美らしくない。お店自体が自分のステージだと思っているので、毎回、亜矢美ショーを見ているような感じです。山口さんはそういうところまでこだわって芝居をしていただいて、本当にありがたいと思います」と絶賛した。

 山口にアドリブのことを確かめると「カウンターの中にいる時はもちろん、のれんをしまう時も、お店の前の道を掃除する時も、亜矢美さんはいつも歌と踊りと共に生きていて、それが活力になっている人。だから、おでん屋のシーンの時は必ず歌っていようと決めました。当時流行っていた曲の中から、曲のテーマと歌詞がそのシーンに合っているかを調べて、おでん屋のシーンの冒頭などに歌っていますが、だいたい8~9割カットされています(笑)。もしカット部分を続けて編集したら、その時代を表す歌番組ができるぐらい歌いまくっているので、亜矢美の歌唱シーンの総集編があるなら、ぜひ私も見てみたいです(笑)」

 例えば、亜矢美が初登場した第45回(5月22日)。初対面したなつが兄・咲太郎を探していることを知った後のシーン。おでんのダシを味見しながら「どこにいるのか リル だれかリルを 知らないか」と歌っていると、咲太郎が帰ってくる。この曲は昭和26年(1951年)発売された歌手・津村謙の大ヒット曲。翌年1月には第2回紅白歌合戦に初出場した津村が歌唱し、4月には同名映画が公開された。山口は「なっちゃんや登場人物の気持ちを代弁するような歌詞の曲を、私が子供の頃に大人たちが歌っていたおぼろげな記憶もたどりながら、インターネットで調べています。この時は、咲太郎探しがテーマなので、人探しの歌を選びました。毎回、楽しくリサーチしながら歌を練習して撮影に臨んでいますが…視聴者の皆さんのお耳に届くことは、ほとんどないと思います(笑)」と自虐した。

 それでも、自由な発想で芝居に取り組めるのは「きっと、年を取ることが楽しくてたまらないからでしょうか。歌と踊りのアドリブは、その楽しさの表れかもしれません。時とともに、自分の好きなことや大切なことにドンドン的確にフォーカスできている実感があります。若い頃は直球一本勝負みたいな感じですが、年を取ると様々な変化球も楽しめる余裕が生まれてきて、余計な力も抜けて、心の中に風が吹くような心地よさです。だから、今回の歌と踊りのアドリブも、思い切り楽しんでやってみちゃおうと。そして、余計なものはどんどんカットしてください(笑)という思いで、自分を丸ごと託している感じです。フラメンコなどの踊りも、人生の瞬間瞬間をいかに楽しみ、しっかりと味わうかが本来の目的だと思います。なので、おでん屋のシーンでこんな曲を歌ってみようとか、ここでカスタネットを叩いてみようとか、ここで1回転してみようとか、すべてが、人生をキラキラと輝かせるための原動力の変化形です」と歳月を重ねて到達した境地を明かした。

 共演の広瀬については「朝ドラヒロインには、人生の苦楽を生きて様々な感情を表現する膨大なエネルギーと集中力が必要です。その試練に次々に対峙して、見事にクリアして突き進むすずちゃんの姿は、もう驚異的です」と目を丸くし「すずちゃんを見ていると、自分が30年前に同じ立場にいたことが全く信じられません。ただの素人だった自分が次々に降りかかる難題をどう乗り切っていたのか。波を乗り越えられたのは若さの力なのか、朝ドラというものの魔法なのか。朝ドラは、不思議な奇跡が起こる場なのかもしれません」と振り返った。

 モデルを経て、「純ちゃんの応援歌」のオーデションでヒロインに抜擢され、女優デビュー。フジテレビ「29歳のクリスマス」「ロングバケーション」、TBS「ダブル・キッチン」「スウィート・ホーム」など大ヒット作を連発。1990年代のテレビドラマ界を席巻した。結婚後は仕事をセーブしたが、2012年にフジテレビ「ゴーイング マイ ホーム」で「ロンバケ」以来16年ぶりの連続ドラマ出演。昨年はテレビ朝日「BG~身辺警護人~」で「ロンバケ」以来となる木村拓哉(47)との22年ぶり共演が話題を呼んだ。

 「だから『純ちゃんの応援歌』は、すべての始まり。『純ちゃんの応援歌』に出会っていなかったら、私は普通にお見合いをして、普通に結婚して、実家の旅館(栃木市の老舗旅館)を継いで…という人生だったと思います。おかげさまで、『純ちゃんの応援歌』で出会った唐沢(寿明)さんとも結婚(95年)させていただいて。人生のすべてのきっかけを頂きました。本当に何も知らないところから、演技の世界に飛び込ませていただいて、そんな素人を受け止めてくださった朝ドラというものに、もう感謝しても、しても、しても、し切れないぐらいです。あれから30年経って、自分がどれだけ成長できたか、まだまだ修行が足りない自分を痛感しますが、今、朝ドラに再会できて、少しでも恩返しをさせていただきたい気持ちでいっぱいです。今までどの作品も毎回本気で取り組んできましたが、今回は特にむちゃくちゃ気を引き締めて、さらに本気でチャレンジしていきたいです」

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