萩原さん「テンプターズ」自ら電話でリークし解散 音楽活動も個性的

[ 2019年3月29日 08:08 ]

萩原健一さん死去

69年、ザ・テンプターズ時代の萩原健一さん(右端)
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 「ショーケン」の愛称で親しまれ、ドラマ「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」などで活躍した俳優の萩原健一(はぎわら・けんいち、本名敬三=けいぞう)さんが26日午前10時30分、消化管間質腫瘍のため都内の病院で死去した。

 萩原さんがテンプターズに入ったのは中学3年時。クローク係をしたダンスパーティーで腹痛で歌えなくなった女性ボーカルの代役で飛び入りしたのがきっかけ。「萩原健一」と名乗り始めたのはこの頃からで「ショーケンとあだ名で呼ばれている以上(本名の)敬三よりも健一の方が分かりやすい」との判断だった。スパイダースのリーダー田邊昭知(現田辺エージェンシー社長)からスカウトされ、1967年「忘れ得ぬ君」でデビュー。「神様お願い!」などのヒットで一躍トップアイドルになり、グループサウンズの最盛期を支えた。ただ、メンバー同士のケンカは絶えず、70年に自ら新聞記者に電話でリークする強硬手段で解散した。

 沢田研二とのスーパーバンド「PYG」結成の構想は「ジュリーで1万人、ショーケンで1万人」だったが、本人いわく「ふたを開けたら観客200人」。ライブ会場でファン同士のケンカも起き、1年で解散。俳優業に重点を置きながら75年に初のソロアルバム「惚(ほ)れた」を発売。その後ロックシンガーとして「大阪で生まれた女」「愚か者よ」などを歌い、哀感あふれる独特のしゃがれ声でファンを魅了。昨年5月、22年ぶりのシングル「Time Flies」を発表していた。

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2019年3月29日のニュース