槇原敬之、カンテレ社歌製作 野望は和製傑作ミュージカルと死後に…

[ 2015年5月24日 11:00 ]

ピアノの前で笑顔を見せる槇原敬之

 「どんなときも。」「世界にひとつだけの花」など数々のヒット曲を生んできたシンガー・ソングライター槇原敬之(46)。デビュー25周年のことし、地元・大阪の関西テレビ(カンテレ)を盛り上げる自身初の社歌製作にも挑戦。節目を迎えあらためて感じる故郷への思いや、心をつかみ続ける曲作りへの情熱を語った。

 大阪・高槻市出身だがデビューを機に上京。今や東京生活の方が長くなった。発表楽曲は200を超え、アルバム総売上1000万枚以上。“大阪”ではなく“日本”を代表するアーティストになり、「若い世代には僕が大阪出身と知らない人も多い」ともらした。

 明るく前向きなエールが聴く者の背中を押す27日発売の新曲「超えろ。」は、カンテレの社歌に採用され、同局の情報ニュース番組「ゆうがたLIVE ワンダー」(月~金曜後3・50)のテーマ曲としても茶の間に浸透中。久々に“大阪人”を印象づけた。音楽番組に多数出演するなど“カンテレ愛”は強い。子供時代も同局の「ノックは無用!」「ノンストップゲーム」が好きで、「“大!大!大!大!”の掛け声とか、魅惑の変身の“フォンテ~ヌ!”とかマネしてた」と名文句を挙げ、懐かしんだ。何せ実家は電器店。「テレビは誰より身近な存在。店にある何台ものテレビで全局同時に観られる贅沢な環境でした」。

 25年離れて思う大阪の魅力は、相手の些細な言葉も拾い上げて広げる会話の進め方という。「自分の意見を投げるのは誰も必死にやるけど、人の言葉を拾うのは難しい。コーラスに例えると、周囲の声を聴きながらハモるとキレイだけど、自分の音階だけ投げるように歌うとハーモニーは崩れる。大阪人は会話で人とハモるのが上手なんです。世界に誇れる“ハモる文化”やと思う」。

 多彩で美しいメロディーや緻密なアレンジ、温かな歌声はもちろん、無二の表現力が生む歌詞は秀逸だ。取材中も気さくな人柄に親近感を覚える一方で、語る言葉には歌詞になりそうな“マッキー節”があふれ、非凡さが伝わって来る。発想は尽きず、歌いたい事がまだまだ歌いきれていないそうだ。「おばあちゃんが散歩する話からラブソングまで、何でも歌になる。アーティストと言われるには、どんな日常からもドラマが見えて来ないとね」。穏やかな口調の中にも、プロのプライドが宿る。

 「こんなに長く応援してもらえるなんて信じられないんです。音楽を続けられるだけで、僕の人生は十分よくできてる」と四半世紀を振り返ったが、日本の傑作ミュージカルを作る野望がある。「悔しいじゃないですか、海外作品を見て“イイけど言葉の意味が分からん”というのが。逆に、僕の作品を見た外国人に“意味分からんけどイイ曲”と言わせてみたい」と笑った。他の夢を問うと、「人生で書きうるだけのパターンの曲を書く。もうそれしかないわあ!僕が死んだ後、“いやぁ槇原さん、ようさん曲書きはったなあ”って言われたら本望です」。

 発売中の最新アルバム「Lovable People」には、25周年の感謝を綴った楽曲「言わせて下さい」を収めた。照れ隠しのように茶目っ気たっぷりの演歌に仕上げた同曲の一節を引用し、「“声と才能が枯れるまで”やりますよ」と誓った。現在の充実ぶりを表すようなキラキラ輝く笑顔。この先も名曲を次々と生み出してくれそうな“陽のエネルギー”にあふれていた。

 ◆槇原 敬之(まきはら・のりゆき)1969年(昭44)5月18日、大阪府高槻市出身。90年10月、シングル「NG」とアルバム「君が笑うとき君の胸が痛まないように」でデビュー。91年、自身初のミリオンセラー「どんなときも。」で紅白歌合戦出場。1メートル76、血液型O。

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