国生さゆり デビュー30周年「懸命なドM」で生き抜いた!

[ 2015年2月8日 10:30 ]

バレンタインチョコを手に笑顔の国生さゆり

 女優の国生さゆり(48)がデビュー30周年を迎えた。85年に「おニャン子クラブ」に加入し、86年には「バレンタイン・キッス」でソロデビュー。その後の芸能生活は波乱に満ち、叩かれても転んでも立ち上がってきた。先月には元夫が詐欺容疑で逮捕されている。再々婚については「もうホントにいい」と、キッパリ言い切った。

 「18歳からおニャン子に入って、何も分からないまま30年。勝手気ままな人なので、事務所を振り回してきたけど、その都度、やりたいことを自由にやらせてくれた」

 歌に、演技に、バラエティーに。どの分野でも実績を残してきた。「今、自分の仕事で、できないことがない。何をしても70点はとれる」と言い切る。

 もちろん、最初からできたわけではない。「おニャン子時代は全くの素人なわけで。要求されたことの3分の1もできなかった」と振り返る。アイドルとはいえ、当時の素顔は陸上競技に「命を懸けていた」という田舎の女子高生。下積み経験はない。それでも「自分に負けることがなにより嫌い。0・01秒を縮めようと走ってきた私の気質が働いたのかもしれません」と負けん気だけは人一倍強かった。

 芸歴がなく、つらい思いをした。ソロになったとたん、売り上げは伸び悩んだ。方向性が定まらず、周囲の評価もついてこない。ただ、自分にだけは負けたくなかった。「打たれても打たれても元に戻そうとする。ドMです。ある意味、懸命なドM」。苦労を苦労と思わない性格で、芸能界の荒波を泳いできた。

 「ただ、もっと上手に生きられたと思う。本当に不器用」

 自分の信じる正義を貫こうとするあまり、たくさんの衝突や誤解を生んだ。奔放な私生活も影響し、世間から「態度が悪い」「悪女」などのレッテルを張られた。本人の名誉のため書き添えると、ネット上などの噂には誤りが多い。でも「うそか否かの問題でなく、そういうイメージから脱せられないのも自分の責任」と受け止めている。

 卓上にあった「バレンタイン・キッス」のジャケット写真に写る30年前の自分を見て思わず、「汚れるつもり、なかったのに…」とつぶやいた。

 「私は優しすぎた。人にかみついたフリをして何かを守っていた。優しすぎると、汚れもするんです」と、独特の表現で自分を見つめ直す。

 「体って、心の入れ物でしかないんです。こういう仕事をできる体をもらったわけだから、かわいそうなことはしないようにしたい。これからは余分なアカは、取りたいかな」

 体は偶像、すなわち芸能人としての自分。汚れることを割り切ってはいても、素の自分は傷ついていたのだろう。そんなことを考えると、国生の笑顔が切なく見えた。

 30周年を迎え、4月29日にはシングル全8枚のA、B面を完全収録した豪華保存盤「ゴールデン☆アイドルDeluxe 国生さゆり」を発売。7月には都内で盛大な記念イベントを予定。

 今年をどんな年にしたいか聞くと、「実は、NHK紅白歌合戦に出たことがないので、何とか出たい」と目を輝かせた。

 昨年は松田聖子、中森明菜、薬師丸ひろ子ら同じ80年代のアイドルが多数出場。「あれ、めっちゃうらやましくて。父と母に“同じくらいの年じゃないの?その枠ないの?”って期待されました。おニャン子再集結も視野に、親や恩人たちに恩返しができれば」。

 先月21日には元夫でコンサルタント会社役員の甲田英司被告(41)が逮捕された。「彼との約束で、詳しいことはお話しできないんです」と話しつつ、再々婚については「そっち方面はもういいの。金輪際。ごちそうさまでした!」とキッパリ。真意を尋ねると一言。「不器用ですから!」。完全に吹っ切れている様子。「芸能界のどこかの分野で、120点がとれるものを身につける」を目標に、まだまだ通過点を全速力で駆け抜けているところ。

 ◆国生 さゆり(こくしょう・さゆり)1966年(昭41)12月22日、鹿児島県生まれ。高校生時代に広島県呉市に移り清水ケ丘高を卒業。85年「オールナイトフジ」美少女コンテストでグランプリを獲得、おニャン子クラブ入り。会員番号8番。100メートル走の自己ベストは12秒8でインターハイ出場歴も。

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