桂小金治さん死去 ワイドショー司会、俳優でも活躍の落語家

[ 2014年11月6日 05:30 ]

死去した桂小金治さん

 ワイドショーの司会、映画やテレビドラマでも活躍した落語家でタレントの桂小金治(かつら・こきんじ、本名田辺幹男=たなべ・みきお)さんが3日午後4時45分、肺炎のため川崎市内の病院で死去した。88歳。東京都出身。テレビ番組で見せた豪快な泣きっぷりから「泣きの小金治」などと呼ばれ愛された。

 元俳優で孫の山岸快さん(32)によると、小金治さんの妻良子(りょうこ)さんが病室で最期をみとった。山岸さんが最後に会ったのは今月1日。病院へ見舞いに行ったものの、熱が出て話せる状態ではなかった。昨年、俳優業を引退する際には小金治さんにも報告したという。

 半月前に見舞いに訪れた落語家の桂文我(54)は「病院にうかがったら元気そうで顔もつやつやだった」と説明。「大丈夫そうじゃないですか」と声を掛けたところ、「ありがとう」とほほ笑み「体に気をつけて」と逆に体調まで心配されたという。映画やテレビで成功できたのは「その人柄によるものだった」としのんだ。2011年に開催した文我の独演会に小金治さんがゲスト出演し、高座引退を宣言していた。

 小金治さんは19歳の頃に終戦を経験。空襲で全焼した実家の焼け跡から父の着物を見つけ、「着物一つで働ける仕事」として落語家になることを決意。新宿末広亭での下働きを経て、1947年に桂小文治に入門、49年に二つ目に昇進し、小金治を名乗った。

 52年に川島雄三監督に誘われて映画界に転身し、「青べか物語」「赤いハンカチ」など多数の映画に出演し、50年代の日本映画黄金期を支えた。60年代には、家庭用テレビの急速な普及を背景に、活躍の場をテレビへと広げた。

 66年から約8年間、NET(現テレビ朝日)の昼のワイドショー「桂小金治アフタヌーンショー」の司会を担当。日本初の昼のワイドショーとして成功を収めた。社会問題を積極的に取り上げ、政治家や官僚に対し怒りを率直に表す発言で「怒りの小金治」として人気を集めた。

 世間のイメージが一変したのは、番組司会を務めた日本テレビ系「それは秘密です!!」(75~87年)。肉親同士の再会シーンでもらい泣きをして「泣きの小金治」とも呼ばれた。

 落語は64年から17年の沈黙を経て81年に高座復帰。最近では12年の日活100周年の記念イベントなどで公に姿を見せていたほか、晩年は講演活動などに取り組んでいた。

 ◇桂小金治さん葬儀日程◇

【通夜】10日(月)午後6時

【葬儀・告別式】11日(火) 午前9時半

【場所】桐ケ谷斎場=東京都品川区西五反田5の32の20=(電)03(3491)0213

【喪主】妻良子(りょうこ)さん

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