大瀧詠一さん急死 65歳早すぎる…ポップスの天才

[ 2014年1月1日 05:30 ]

急死した大瀧詠一さん(左)写真は85年「はっぴいえんど」再結成時のもので、大瀧さんの隣は(左から)松本隆、細野晴臣、鈴木茂

 元「はっぴいえんど」のメンバーで、ニューミュージックの草分け的存在の歌手、大瀧詠一(おおたき・えいいち=本名大瀧榮一)さんが30日午後7時、都内の病院で死去した。65歳。都内の自宅でリンゴを食べている時に倒れた。死因は解離性動脈瘤(りゅう)だった。岩手県出身。葬儀は近親者のみで執り行う予定。広く音楽に精通し、日本のポップス界の礎を築き、大の巨人ファン、長嶋茂雄ファンとしても知られた。

 警視庁福生署などによると、大瀧さんは30日午後5時半ごろ、東京都瑞穂町の自宅でリンゴを食べている際に、椅子から滑り落ちるように倒れた。家族が119番通報し、青梅市内の病院に救急搬送。だが、午後7時に死亡が確認された。

 同署によると、大瀧さんの家族は「リンゴを喉に詰まらせた」と話しているという。搬送時は既に心肺停止状態だった。所属レコード会社は死因を「解離性動脈瘤」と発表した。遺体は自宅に安置。対応した関係者は「たばこも酒もやらない。散歩や自転車が趣味で元気だったのに」と肩を落とした。今年3月に発売するアルバム「EACH TIME」の30周年盤のリマスタリング作業が終わったばかりだった。

 大瀧さんは上京後の68年、細野晴臣(66)と出会い、70年に松本隆(64)鈴木茂(62)と伝説のバンド「はっぴいえんど」を組んだ。これが、日本語で歌うロックバンドの誕生。今もって日本の音楽界に多大な影響を与えている。

 歌謡曲から洋楽まで精通。ビートルズから三橋美智也まで何でも聴いた。尊敬するプロデューサー、フィル・スペクター氏のやり方を実践し、曲作りでは複数のテークを録音し、重ねていく。斬新で深みのある音楽はこうして生まれた。曲調もロックから音頭まで、抜群の器用さを誇った。

 バンド解散後の73年、レコードレーベル「ナイアガラ」を立ち上げた。プロデューサーとして山下達郎(60)や大貫妙子(60)の「シュガー・ベイブ」を見いだした。作曲家としては、森進一(66)にはポップ調の「冬のリヴィエラ」を、映画スターの小林旭(75)に「熱き心に」を提供し、新境地開拓に一役買った。

 鼻にかかった甘い歌声の持ち主。81年のアルバム「A LONG VACATION」が大ヒット。97年のシングル「幸せな結末」は、木村拓哉主演のフジ月9ドラマ「ラブジェネレーション」の主題歌として100万枚以上を売り上げた。

 巨人軍の長嶋茂雄終身名誉監督の大ファン。2度目の監督に就任した93年のキャンプに密着。本紙で連載し「私、民主主義でも共産主義でもない。“いわゆる一つのチョーサン主義”を信奉するものであります」という言葉を残していた。

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2014年1月1日のニュース