くすぶる謀殺説…ソ連の伝説的歌手は今も衰えぬ人気

[ 2010年8月5日 08:21 ]

コンサートで歌うビソツキー=77年、撮影場所不明(ロシア通信提供・共同)

 腹の底から絞り出すようなしわがれ声で庶民の心を代弁したソ連の伝説的歌手ウラジーミル・ビソツキーが42歳で死亡してから7月25日で丸30年が過ぎた。ロシアでCDや関連書籍は今も売れ続け、人気は衰えを見せない。ソ連当局から「反体制的」と見なされ生前はレコードが発売されなかったビソツキーは国家保安委員会(KGB)に謀殺されたとの説がいまだにくすぶり、その早すぎた死は多くの謎を残している。

 「民衆に最も近かった歌手」(国営テレビ)のビソツキーが眠るモスクワのワガニコフスコエ墓地には命日の25日、朝から大勢のファンが集まり、墓前に次々と献花した。ロシア南部ボルゴグラードから来た運転手エフゲニー・アナニフさん(50)は「詞が分かりやすい。彼の歌は今も生きている」と話した。
 ビソツキーは作家の五木寛之氏がラジオ番組で紹介、日本でもファンが多い。
 「おれたちの魂を救ってくれ! 息が詰まりそうだ 急いでくれ! おれたちのSOSは ますます聞こえなくなっていく」(「おれたちの魂を救ってくれ」)
 その作品には、表現の自由や外国旅行の自由を認めないソ連体制の閉塞感を率直に反映した歌や反戦歌が多く、共産党政権には容認できない存在だった。
 しかし、ギターの弾き語りによる「魂の叫び」のような歌声はコンサート会場でカセットテープに録音されてひそかに出回り、庶民の絶大な人気を博した。
 やがてビソツキーは過度の飲酒に陥り、ソ連のアフガニスタン侵攻で欧米がボイコットした1980年のモスクワ五輪開催中に自宅で死亡した。詳しい死因は不明のままだ。
 ビソツキーの伝記を手掛けた作家ラザコフ氏は7月22日付のコムソモリスカヤ・プラウダ紙に掲載された没後30年の特集記事で、知人の医師らがビソツキーに死の直前まで自宅で大量の精神安定剤や睡眠薬を注射し、ウオツカさえ飲ませていたと指摘。
 「ビソツキーの周辺にはKGBの協力者がたくさんいた。KGBは彼が薬物常習者であることを知りながら、薬を与えていた知人らを逮捕せず放置した。ビソツキーの死を早めることが利益だったからだろう」と述べている。
 当時、ソ連のメディアはビソツキーの死をほとんど黙殺し、2日後に短い死亡記事を載せた夕刊紙の編集長は解任された。
 それでも葬儀が行われたモスクワのタガンカ劇場周辺には約20万人の市民が詰め掛け、出棺の際には群集から「ファシスト」の声が上がった。「ソ連当局の圧力がビソツキーを死に追いやった」という怒りの表現だった。

 ◆ウラジーミル・ビソツキー ソ連時代の歌手、俳優。1938年1月生まれ。モスクワ芸術座俳優養成所で学び、64年からタガンカ劇場で活躍する傍ら、自作の歌をギターの弾き語りで歌い、ソ連では詩人で歌手のオクジャワと並ぶ「吟遊詩人」と称された。歌詞が不適当だとしてソ連当局の批判を受けるほど人気は高まり、「反逆のシンボル」ともいわれた。80年7月に42歳で死亡。代表作に「彼は戦場から戻らなかった」「気まぐれな馬」「オオカミ狩り」など。(共同)

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2010年8月5日のニュース