元広島・古葉竹識氏死去 85歳 75年「赤ヘル旋風」で広島リーグ初V導く 日本一3度の名将

[ 2021年11月16日 15:00 ]

古葉竹識さん
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 広島は16日、球団OBの古葉竹識(こば・たけし)氏が12日に死去したと発表した。85歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで執り行われた。

 熊本出身の同氏は済々黌から専大(中退)、日鉄二瀬を経て1958年に広島入団。俊足強肩の遊撃手として、盗塁王を2度、ベストナインを1度受賞した。1963年には長嶋茂雄との壮絶な首位打者争いを繰り広げた。70年、当時の野村克也選手兼任監督に請われる形で南海に移籍。71年に現役を引退した。

 引退後は南海でコーチを務めた後、74年からコーチとして古巣・広島に復帰。翌75年5月のルーツ退団を受けて広島監督に就任。前年最下位に低迷したチームを、監督1年目から球団創立26年目で初となるリーグ優勝に導き、「赤ヘル旋風」を巻き起こした。

打者では山本浩二、衣笠祥雄に加え、機動力野球の申し子となった高橋慶彦ら、投手では北別府学、江夏豊らを擁して79、80年に2年連続の日本一を達成。特に初の日本一となった79年、近鉄との日本シリーズでは第7戦の攻防「江夏の21球」が語り継がれている。80年にはプロ野球の発展に最も貢献した監督や選手に贈られる「正力松太郎賞」を受賞した。

 84年にはV奪還を果たして、広島監督としての11年間でリーグ優勝4度、日本一3度と名将としての手腕を発揮。87年から3年間は大洋(DeNA)の監督を務め、監督通算14年間で873勝791敗137分け。

 99年には広島を初優勝に導いた功績を称えられて野球殿堂入り。アマ球界でも指導の手腕を発揮した。08年に東京国際大監督に就任すると、11年に同大初の全日本大学選手権出場に導いた。15年には同大の名誉監督に就任した。

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