野球少年に夢を与える「無私」と「情熱」 清瀧静男氏のサポートがポニーリーグと野球の未来を支える

[ 2021年5月28日 19:07 ]

用具提供をはじめ、ポニーリーグに惜しみない支援を続ける株式会社大倉の清滝静男代表取締役CEO兼COO
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 2度の甲子園出場に加え、社会人野球の名門チームでは20歳にして4番を務めた。アマチュア球界において輝かしいキャリアを持ちながらも、「野球からは後悔を学んだ」と言う。今季から中学硬式野球のポニーリーグに対し、「ポニーファミリー サプライ用品給付制度」の支援をスタートさせた株式会社大倉の代表取締役CEO兼COO・清瀧静男氏(45)。その思いと、野球人生を追った。

 多忙な激務の合間を縫って、清瀧氏は情熱的な言葉を並べた。今季から始まった「サプライ用品給付制度」。舵取り役を務める同氏の心には、それぞれの環境に左右されることなく、好きな野球に思い切り打ち込んでほしいという思いがある。

 「道具を買えない子どもさんたちもいて、中にはそのことで野球を断念してしまうケースもあると。それなら、私が揃えた道具で思い切りプレーしてほしい、と。ポニーであれば貧しい子どもも裕福な子どもも同じだけチャンスがあるという考え方なので良かったと思います」

 対象者は(1)世帯収入が400万円以下の者(2)障害等級1級および要介護者が同一世帯に住居する者で、毎年度2月末日までに協会宛に証明書を提出(中学1年生は5月末日)。協賛社であるSSKの野球用品券が贈呈され、スパイク、グラブが支給される制度だ。全ての選手に対して、平等にチャンスを与えるのがポニーリーグの活動理念。その精神に共感し、本格的な支援活動を決意した。

 「僕もレギュラーでやっていましたが、ケガをして補欠の気持ちも分かるようになりました。ポニーはレギュラーだけではなく、そういう補欠の子どもたちにも目を向けている。そこに共感しました。育成をメインにやられていて素晴らしいし、これはぜひ、応援してみたい、と。賛同者が増えて、チームが増えればいいですよね。普及への支援をどんどんしていきたい。特に関西の普及に尽力したいですね」

 過去の栄光を振りかざすことは皆無でも、歩んできた道のりは文字通りのエリート街道だった。近大付では2年春から中堅のレギュラーを獲得。下級生ながら1番を任され、2年夏の甲子園出場を果たした。2年秋の新チームからは主将に就任。その矢先、右足の指に腫瘍が見つかった。

 「高校2年の時に骨髄腫瘍になって。右足の指の骨が溶けてきて。血液の病気。足の甲の指は神経がたくさん通っているから、術後も思うように動かなくなった。それまでは1番バッターだったのが、そのブランクを埋めるためにパワーをつけよう、と」

 2年生から3年生に差し掛かる春、自身の腸骨の一部を患部に移植する手術を受けた。当時、大阪で覇権を争っていた上宮が選抜大会で優勝。病院のベッドからライバルの躍進を見つめ、最後の夏に闘志を燃やした。だが、体は思うように動かない。俊足でならしたプレースタイルを一新し、ウエートトレーニングに励んだ。強靱な上半身を手にした一方、体の大型化が腹部の傷口の回復を遅らせた。夏の大阪大会期間中は傷が開き、腹膜炎を発症。激痛に耐えながら主将としてグラウンドに立ち、母校を2年連続の夏の甲子園へと導いたのだった。

 高校卒業後は社会人野球・新日鉄堺に入社し、94年の1年目からレギュラーとして活躍した。同年オフに休部が決定すると、新日鉄君津へと移籍。すぐに外野の定位置を獲得し、後の平成唯一の三冠王・松中信彦氏とともに主軸を任された。松中氏が3番で、清瀧氏が4番。プロ野球も現実的な目標に据えることはできたが、ミキハウスに所属した24歳のシーズンを最後に現役を引退した。その後はビジネスの世界へと転身。今では資本金30億円という株式会社大倉の代表取締役CEO兼COOを務めるまでの立身出世を遂げた。

 野球の道でも結果を出し続けたが、経営者として生かされている部分は意外にも、成功体験ではないという。

 「野球を通じて学んだことは、後悔かな。野球をやっているときに、いま持っている知識があれば、もっと違っただろうな、と。それが今に生きています。野球は後悔を教えてくれたし、もっと前向きに言えば選択することを教えてくれた。経営者で成功している人というのは、大半の人が後悔を知っているのではないでしょうか。先ほども話しましたが、ケガをして補欠の気持ちを知ったことが経営者としてはすごく良かった。経営者というのは、野球で言えば4番でエース。でも、裏方さんがどれだけやる気になるかが、組織の底上げにつながっていく。そこが一番、いまに生きています」 

 割合にすれば、ごくごくわずかな時間でしかなかった「補欠」としての経験もムダにはしない。すべてを前向きにとらえるからこそ新たな気づきがあり、自らの手で未来を切り開いてきた。清瀧氏は最後に、こんな言葉を残してくれた。

 「強い高校に行くことが全てじゃない。野球だけではなく、野球を辞めた将来のことまで考えて進学するのは良いと思うけど、とにかく選択肢をたくさん持っておいてほしい。だから、野球以外にも目を向けているポニーリーグの普及が、そういう風潮をなくすことにもつながるだろうし、社会で活躍できる人材を提供していけると思います」――。

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