【藤川球児物語(44)】逆襲意欲も…金本監督退陣に声を震わせた

[ 2020年12月27日 10:00 ]

17年5月、ロッテ戦でNPB通算1000奪三振を達成し、花束を手に金本監督(左)に迎えられる藤川

 17年シーズンで藤川球児は52試合に登板したが金本知憲率いるチームは2位に終わり、DeNAとのクライマックスシリーズ・ファーストステージにも敗れた。またも「優勝」の2文字を逃し「それが達成できれば、いつでも満足してユニホームを脱げる」という信念を貫く藤川も、18年には38歳シーズンを迎えた。

 圧倒的なパフォーマンスを常に披露することは難しくなった。トレーニングを続けても、肉体的な疲れを取り除けないまま次の登板を迎えることが増えた。イメージ通りの投球にはならず、スタンドのヤジが耳に残る日もあった。それでも「苦しいことは実は楽しいんだ」と前を向くことだけは忘れなかった。「人生だから苦しいことはある。それとどう付き合うか」と取り組んだ。何としても優勝を手にするためだった。

 連続試合フルイニング出場の世界記録を持つ金本も、藤川の投げ続ける姿勢を、いち野球人として評価していた。「本当に強い投手だよ。大きなケガもないし、メジャーで一度手術をしたけど、そこからはい上がってきた。簡単にできることじゃない」と語ったことがあった。言葉通りに18年もマウンドに立ち、9月1日のDeNA戦で通算700試合登板を達成。「これが目標じゃないし、何とも思わない」と藤川は日々の戦いにだけ目を向けた。

 ただ、現実は厳しかった。3年目を迎えた金本阪神は最下位に沈んだ。最後まで投打の歯車がかみ合わず、目指した「超変革」が実を結ぶことはなかった。本拠地・甲子園で借金18。金本は10月10日の本拠地・最終戦のあと、球団に辞意を伝えた。巻き返しへの意欲は十分あったが、信じていたハシゴを外された。無念の退任だった。

 同13日のシーズン最終戦の中日戦で藤川は延長10回に登板し、直後の勝ち越しで5勝目を挙げた。「どういうシーズン…。それはもう…。全く良くない。来季以降、自分でどこを目指すか(監督に)伝えようとした時だったのに…」。阪神復帰の道を開いてくれた監督の退陣に声を震わせるしかなかった。 =敬称略=

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2020年12月27日のニュース