新型コロナウイルス後のスポーツ界に待っているもの

[ 2020年5月16日 15:40 ]

昨年3月19日の甲子園球場
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 【君島圭介のスポーツと人間】日本におけるスポーツ学の第一人者である中村敏雄氏は、「スポーツという文化」(サントリー不易流行研究所編)への寄稿の中で、「スポーツのしかたや見かたと人びとの日常生活とは深く関係している、あるいは人間の生活様式を形成する主要な条件の一つにスポーツが含まれている」と記した。

 新型コロナウイルスの流行で、東京五輪を始め、小学生の地域大会まで様々なスポーツイベントが延期、または中止に追い込まれた。世界規模で感染による死者が出ている「日常生活」では、スポーツのない現状はしかたがない。

 日本でも緊急事態宣言下の自粛で、ウイルス感染とは別に、コロナ死なる経済的に追い詰められた深刻な状況も問題となってる。スポーツ界も例外なく追い詰められている。さらに今後、経済活動が再開しても、「不要不急」というワードはスポーツ界にのしかかってくるだろう。

 「こんな状況でスポーツどころじゃない」

 そんな声が出るのは当然だ。経済優先、遊びは後回し、という理論だが、そもそもスポーツは遊びなのだろうか。このコラムのタイトルは1958年にフランスで刊行されたロジェ・カイヨワの名著「遊びと人間」から借用した。そのカイヨワは同著の中で「リング、競技場、競馬場、舞台などで生計を立てているボクサー、自転車競技の選手、騎手、俳優などのようなプロの場合、彼らは賞金、棒給、出演料などのことも考えねばならないから、その意味で、彼らは遊ぶ人ではなく、明らかな職業人である」(清水幾太郎、霧生和夫訳)と定義している。

 プロスポーツ選手、さらには俳優などアーティストもまた経済活動の担い手なのだ。アマチュアの活動もその予備軍と捉えれば、「遊びは後回し」とは言い切れない。もちろん、最善の感染拡大防止策を講じることが前提だが、高校などアマスポーツを含めて、スポーツイベントの解禁も経済活動再開の一環としていいのではないだろうか。

 前述の中村氏はこうも記した。「社会が豊かになれば、スポーツのしかたや見かたも豊かになる」。我々は豊かな生活の中でスポーツの楽しさを享受してきた。奪われたスポーツが再び日常生活に戻って来たとき、人類は真の意味で新型コロナウイルスに打ち勝ったといえるのではないだろうか。(専門委員)

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2020年5月16日のニュース