聖光学院 赤津翔平マネ 快進撃支えるもう1人の“敏腕戦士”

[ 2019年8月7日 05:00 ]

第101回全国高校野球選手権大会 開会式 ( 2019年8月6日    甲子園 )

ブルペンキャッチャーなどで選手らを支える赤津マネジャー
Photo By スポニチ

 第101回全国高校野球選手権大会が6日、甲子園で開幕した。大会7日目(12日)の第2試合に登場する聖光学院ナインは、スタンドから見守るマネジャーの赤津翔平(3年)の思いも胸に、はつらつとした行進を披露した。

 代表18人は右翼に設置された「101」のゲートを胸を張って、元気良くくぐり抜けた。その姿を三塁側内野スタンド席から見守った赤津マネジャーは「夢舞台に立った実感がある」と感激で声を震わせた。

 赤津は小学3年のときに父・幸夫さんを肝臓がんで亡くした。福島医大の病室で語った父の最後の言葉を鮮明に覚えている。「人生に悔いはない。でも一つあるとすれば、翔平の高校野球を見られないこと」。そう言って父は天国へと旅立った。その日に父とともに福島市の自宅に戻ったが、悲劇は続く。午後2時46分。東日本大震災が発生した。父が闘病生活を終えたのは、くしくも11年3月11日だった。被害こそなかったが、赤津の心は崩壊寸前だった。

 父の言葉を胸に「野球で勝負したい」と聖光学院に入学。だが、1年冬に我慢し続けていた右肩を故障した。医師から「もう投げられません」と告げられた。だが、絶望感に打ちひしがれた赤津を亡き父が救った。会社の経営者だった父。他人に尽くし、他人の立場になって物事を考えられるその立ち居振る舞いに赤津は憧れていた。答えはすぐに出た。

 「マネジャーで日本一を目指そう」

 マネジャーを始めた当初は「お手伝いさん」という認識だったが、自分自身のやることに責任を持ち続けた。毎朝、選手にノックを打ち、ブルペン捕手や審判なども務め、用具係としても動き回った。首脳陣から「聖光学院史上、3本の指に入るマネジャー」とも言われるようになった。「弱いところを見せないし、さぼらない。日本一にさせたい」と清水正義主将(3年)。赤津は「プレー以外は自分がキャプテンのつもりでやった」と献身的なサポートがチームを結束させた。

 「福島の思いを背負ってスタンドの選手の分まで覚悟を見せてほしい」と赤津。その思いは聖光学院ナインの大きな原動力となる。(近藤 大暉)

続きを表示

2019年8月7日のニュース