【和歌山】怪童と投げ合った桐蔭伝説の左腕が始球式「甲子園は夢の場所」

[ 2018年7月11日 15:47 ]

第100回全国高校野球選手権記念和歌山大会 ( 2018年7月11日    紀三井寺 )

和歌山大会開幕試合で始球式の投手を務めた桐蔭OBの森川勝年さん(11日、紀三井寺球場)
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 和歌山大会が11日、県営紀三井寺球場で開幕し、開幕試合で桐蔭が1961(昭和36)年夏、甲子園大会で準優勝した当時のエースで主将だった森川勝年さん(74=奈良県生駒市)が始球式の投手を務めた。

 桐蔭は今夏からアンダーシャツの色を白からかつてのエンジ色に変更。当時と同じユニホーム姿でマウンドに上った森川さんは左腕からワンバウンドで真ん中外角寄りに“ストライク”を投じた。

 「こんなに緊張したことはない」と登板後は笑顔で汗をぬぐった。「投球は狙い通り。捕手まで届かせようとすれば高めの暴投になるし、低めに投げようとすると引っかける。真ん中にワンバウンドで投げようと思っていたんだ」。

 実は1カ月前に始球式の話を受け、後輩に連れられ、社会人・松下電器(現パナソニック)時代に親しんだ大阪・枚方市のパナソニック・ベースボール・スタジアム(旧松下球場)で練習していた。「もう50年も投げていない。今の自分にはワンバウンドで十分」と思い立った。控え室に戻り、甲子園出場当時の後輩に「何点だ?」と聞くと「100点満点です」と採点され「肩の荷が下りた」。

 森川さんは61年夏、桐蔭の主将、エース、4番打者として第43回全国高校野球選手権大会(甲子園)で準優勝に輝いた。「甲子園の思い出より、和歌山県予選準決勝が印象に残っている」。相手は県和歌山商。1―0リードの9回裏、無死満塁の絶体絶命。三振とスクイズ失敗の併殺で切り抜けた。

 同年夏は和歌山県予選、紀和大会、甲子園大会と全10試合完投、うち7完封と快投を続けた。

 甲子園の決勝では「怪童」と呼ばれた浪商(現大体大浪商)の尾崎行雄と投げ合い、0―1で敗れた。当時、高校が編んだ記念誌に<閉会式で浪商がもらった大優勝旗に「和歌山中学校」と書かれているのが僕には見えた。その時、残念で残念でたまらなくなった>と書いていた。この日、「生涯見たなかで尾崎の球が一番速くて重く、前に飛ばなかった」と振り返った。

 「僕たちはまさか甲子園まで行けると思っていなかった。しかし行けば人生が変わる。100回大会か。これまでも、これからも、やはり甲子園は夢のような場所であり続けるだろうね」

 桐蔭から慶大に進み「田淵(幸一氏=当時法大。現本紙評論家)に1号ホームランを献上したのは僕だよ」と笑った。

 大会本部から依頼された現役選手へのメッセージには<結果よりもプロセスを大切にするように><何ごともあきらめず、一歩一歩、基本を大切に、一日一日努力すること>としたためた。野球だけでなく、長く人事関係の仕事をしていた森川さんは、社会人としても生きる教えだと感じている。(内田 雅也)

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