【決断】ヤクルト徳山 難病との付き合い方を熟慮“広報支援”即決

[ 2017年12月1日 09:38 ]

15年、中継ぎで39試合に登板しヤクルトのリーグ優勝に貢献した徳山
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 オフシーズン。プロ野球は新人を迎える一方で、今年も多くの選手がユニホームを脱いだ。現役引退の「決断」に連載で迫る。第1回はヤクルト・徳山武陽投手(28)。

 着慣れないスーツに身を包み、満員電車に揺られる日々。ごく一般的な会社員としての生活は、11月から始まった。徳山は照れくさそうに笑う。

 「慣れないことばかり。どれもこれも新鮮というか、勉強になります。何より、野球を終えて、こうして仕事をいただけたことに感謝しています」

 戦力外通告は10月3日。約1週間後、球団から職員としての誘いを受けた。「現役を退くことは決めてました。どうしようと考えていたときに、お話をいただいた。すぐに返事をしました」。ユニホームを脱ぐことに迷いはなかった。

 皮肉にも順調な一年が「引退」を決断させた。昨年11月、黄色靱帯(じんたい)骨化症の手術を受けた。国指定の難病。同じく発症したソフトバンク・大隣も今オフに戦力外通告を受けた。下半身を中心にしびれや、まひに襲われる。体、特に下半身が土台となる野球選手には厳しいものた。

 リハビリ没頭を覚悟した今季。「想像以上に回復は早かった」。4月末にはイースタン・リーグのマウンドに立てた。今季最終登板、結果的にプロ最終マウンドとなった9月29日の同リーグ・日本ハム戦(鎌ケ谷)では、2軍ながらプロ初完封も経験。本来ならば、ここから来季への思いが高まってくるはずだった。だが「2軍で抑えられても“1軍で勝負できるか?”というと、残念ながら、そこまで体が戻ってこなかった」――。

 投げることはできる。それでも左太腿付近のしびれは消えない。臀部(でんぶ)にもかすかに残る。「病気になった自分と付き合うしかない」。頭では理解できても「来年以降もこの体とも付き合いながら状態を上げていくのは難しい」と素直に感じた。15年、中継ぎで39試合に登板してチームのセ・リーグ制覇に貢献した。「1軍」を知っているからこそ、復帰がはるか遠くに思えた。

 限界を悟ったときに訪れた戦力外通告。難病の発症からわずか1年での通達は、残酷にも思えたが「すっきりできました」と穏やかに受け入れた。

 来年1月からは球団広報部へ配属される。研修生扱いの今、手帳やペンを相棒にパソコンの前で悪戦苦闘の毎日を送る。 (川手 達矢)

 ◆徳山 武陽(とくやま・たけあき)1989年(平元)7月21日、兵庫県神戸市生まれの28歳。三田学園時代は甲子園出場経験はなし。立命大を経て、11年の育成ドラフト1位でヤクルト入団。13年5月に支配下登録された。1メートル85、84キロ。右投げ両打ち。

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