菅野1年待ったプロ初勝利 目標「原監督超え」へ第一歩

[ 2013年4月7日 06:00 ]

<巨・中>女の子たちが作った花道を笑顔で歩く菅野

セ・リーグ 巨人6-4中日

(4月6日 東京D)
 巨人のドラフト1位・菅野智之投手(23)が6日、2度目の登板となった中日戦でプロ初勝利を挙げた。完投こそ逃したが、8回121球を投げ6安打4失点。1年間の浪人生活を経て伯父の原辰徳監督(54)が指揮を執る巨人に入団した右腕が、子供の頃から憧れた東京ドームでスポットライトを浴びた。チームは1リーグ制だった41年以来、72年ぶりの開幕6連勝をマーク。菅野の力投が勢いをさらに加速させた。

 この瞬間を待ち焦がれていた。勝利のハイタッチの列に並んでいた菅野は、原監督に背中を叩かれた。そして握手。自然と笑みがこぼれた。

 即戦力ルーキーとして注目を浴びてきた背番号19は、目標を聞かれると「まず1勝」と繰り返してきた。1年間遠回りしたが、これが「巨人・菅野」のスタートライン。安どと同時に、胸に秘めていた思いも明かした。

 「(原監督を)超えるというのも目標にはある。凄く大きな目標ですが…。今は原監督のおいが僕ですけど、いつか自分の伯父が原監督だと言ってもらえるようになりたい」

 3回まではパーフェクトで4三振を奪った。7回1失点と好投したデビュー戦の3月30日の広島戦(東京ドーム)では5安打中4本を左打者に許し、内角直球を課題に挙げていた。4回2死一、二塁のピンチ。森野をフルカウントからその内角146キロ直球で詰まらせて二ゴロに打ち取った。6、8回には本塁打を浴びた。「競った場面では一発が命取りになる」。初勝利の喜びとともに一発の怖さも痛感した。

 自らの意思で選んだ浪人生活。中でも最もつらく、長く感じた一日があった。昨年10月24日。2度目のドラフト前日だった。運命の日を翌日に控え、練習を終えて夕食を済ますと日課としていた野球ノートにペンを走らせた。「正直、つらかった」。隠すことなく素直な気持ちで一年を締めた、はずだった。

 いつものように寮の部屋の電気を消し「夜12時くらいに布団に入った」。だが、全く眠気が来ない。頭をよぎるのは、前年に続く最悪のシナリオばかり。眠るのを諦め「部屋が暗いと嫌なことばかり考えてしまう」と電気も、テレビもつけた。

 その1年間は「目先の目標がないこと」に耐えてきた。いつの間にか白髪も生えた。それでも「自分の決めたこと」と巨人入団だけを考え、打撃練習にも取り組んだ。苦悩しながらも現実と向き合い、行動を起こす強さが菅野にはあった。だからこそ、2度目のドラフト前日だけは「1回目は楽しみだったけど、2度目は不安だけだった」と一睡もできなかった。

 幼い頃から何度も思い描いてきた巨人のユニホームを着てのお立ち台。最高の景色が広がっていた。「去年1年間、我慢してここまで来られた。想像していた以上に(お立ち台は)いいところでした。うれしいし、半面、ホッとしています」。我慢した分だけ喜びも大きい。大きな夢を掲げながら、背番号19がひたむきに努力を重ねていく。

 ▽1941年の巨人 4月3日の大洋との開幕戦でスタルヒン(当時は須田博)、4日黒鷲戦でも沢村栄治が2戦連続完封勝利。15日南海戦まで7連勝。一度も首位を譲らず62勝22敗2分けの勝率・738で、リーグ4連覇を達成。

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2013年4月7日のニュース