ラミ弾で決めた2000安打 かつての本拠で日本愛結実

[ 2013年4月7日 06:00 ]

ラミちゃんカフェの来店客と記念撮影に応じるラミレス

セ・リーグ DeNA6-3ヤクルト

(4月6日 神宮)
 思い出の神宮で決めた!DeNAのアレックス・ラミレス外野手(38)は6日、ヤクルト戦で外国人選手として初、史上42人目となる通算2000安打を達成した。6回に石川雅規投手(33)から左越え本塁打。1695試合での到達は長嶋茂雄(巨人)の1708試合を抜き、川上哲治(巨人)の1646試合に次ぐ2番目のペースとなった。来日13年目。日本を愛するベネズエラ出身の最強助っ人が金字塔を打ち立てた。

 衝撃的な弾道だった。2点リードされた6回。先頭で登場したラミレスは石川の10球目、内角カットボールを振り抜いた。左翼ライナーかと思われた低い打球は雨を切り裂き、そのままスタンドに突き刺さった。人さし指を突き上げてダイヤモンドを一周。花束を受け取ると、2000安打のボードを高々と上げた。

 試合後の会見。「チームも勝利したし、完璧な一日だった」。そう振り返る、目は真っ赤だった。神宮球場はラミレスにとっての原点。来日初本塁打を放った球場でもある。

 「自分のキャリアをスタートさせた場所で達成できた。今までの安打で一番うれしい。子供の時にワールドシリーズでサヨナラ本塁打という夢はあったけど、まさか2000安打を本塁打とは想像もしなかった。神に感謝したい」。

 01年の来日当初は外角のスライダーにバットは何度も空を切った。試合の序盤から犠打で走者を進める日本の野球にも戸惑った。だが、「ここは母国ではない。米国の野球を教えに来たのではなく、日本の野球を勉強しに来たんだ」と思い直した。ヤクルト時代の若松勉監督(当時)や選手たちが日本人のように受け入れてくれたことも「日本でお金をもらって1年で米国に戻ろう」という心境を変化させた。

 誰よりも努力する。ヤクルト時代に古田敦也氏からのアドバイスもあり、2年目から試合後に全打席を映像で見直し、捕手の配球を毎日分析した。「ミーティングは投手中心の分析だが、実際は捕手が試合をコントロールしている。谷繁さんと他の捕手ではリードが違う」。走者が塁上のどこにいるか、同じ無死一塁の局面でも走者の足の速さで配球も変わる。「甲子園は広いから外角中心。外国人投手なら捕手は意見を尊重して投げさせる。試合によっては最初の2球を見ただけで攻め方が分かる」と明かす。

 誰よりも我慢強い。04年から11年にかけて外国人史上最多の985試合に連続出場。巨人在籍時の11年7月13日の阪神戦(甲子園)で、榎田から死球を受けて7年以上続けた連続試合出場が止まった。球団発表は「右足甲打撲」だったが、実は骨折。足を引きずる重傷だったにもかかわらず、翌日も出場を志願した。

 誰よりも日本を愛している。2000安打を本塁打で達成し、ベンチに戻ると、巨人時代の11年に東日本大震災の被災地に向けて送った手話「We are one」のパフォーマンスを披露した。「日本で育ててもらった。このパフォーマンスを復活して風化させないようにしたい」。震災後もマスコミに公表することなく、何度も被災地に足を運んでいる。試合後には「基金の設立も考えている」と宣言した。

 実働13年目での達成は史上最速となった。もう個人成績の目標はない。「2000安打が自分の成績を語っている。次のゴールはDeNAで優勝する」。ラミレスのまた新たな挑戦が始まった。

 ≪渡り歩き歴代3位≫在籍3球団目での到達は、87年加藤(阪急→広→近鉄→巨→南海)の5球団、75年江藤(中→ロ→大洋→太平洋)の4球団に次ぎ、95年落合(ロ→中→巨)に並ぶ球団数。同一リーグ内の3球団を渡り歩いて達成したのは初。

 ≪送りバントなし≫通算2000安打以上で犠打0はラミレスだけで、これに次ぐのは小笠原(巨)の2。なお、日本で犠打を試みたことはないが、メジャー時代は2犠打を記録している。

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