浜田討った!浦添商 友情リレーで愛工大名電を撃破

[ 2012年8月11日 06:00 ]

第94回全国高校野球選手権1回戦 浦添商6―4愛工大名電

(8月10日 甲子園)
 第94回全国高校野球選手権1回戦は1回戦4試合が行われ、4年ぶりの出場となった浦添商(沖縄)が優勝候補の愛工大名電(愛知)を破った。4番・宮里泰悠(たいゆう)投手(3年)が2回に先制本塁打を放つなど、大会No・1左腕の浜田達郎投手(3年)を序盤から攻略。6―4で逃げ切った。沖縄の本土復帰40年という節目の年に、97年と08年に4強入りした浦添商が再び旋風を巻き起こす。

 優勝候補が相手でも物おじすることはなかった。マウンド上の宮里の帽子につばの裏に書かれた「気迫」、そして「闘志前面」の言葉。その両方を体現する投球だった。

 「相手は同じ高校生。絶好調ではなかったけど、気持ちで攻めました」

 1番から8番まで左打者が並んだ愛工大名電打線。ただ、右腕は落ち着いていた。「みんな大柄でリーチが長いので(脇を)畳み込めていないように見えた」。愛知大会の決勝と準決勝のビデオを10回以上も見直し、出した結論が「弱点は内角」。あとは本番のマウンドで初回から内角を突き続けるだけだった。

 2回にはバットから快音を響かせた。沖縄大会では6番を打っていた宮里だったが、大会No・1左腕の浜田対策として4番に座った。その第1打席。「好投手なので追い込まれたら苦しい。真っすぐを狙って思い切り振った」。1ボールからの外角直球を右中間スタンドに運んだ。沖縄大会決勝に続く宮里の一発がのろしとなり、3回までに5点を奪った。

 あとは「友情リレー」でリードを守るだけだ。4回に失策絡みで2点を失い、5回無死一塁で2番手・照屋にマウンドを譲り、自らは右翼に回った。照屋とは沖縄市立諸見小1年からの級友。小5までサッカー部だった照屋を誘い、少年野球チーム「諸見スワローズ」、さらにコザ中でも一緒にプレー。今夏の沖縄大会でも全6試合を2人の継投で勝ち抜いた。「照屋はライバルだが、1番の友人。彼がいたから甲子園に来られた」。その照屋が8回無死から四球を出すと再登板し、試合終了まで投げきった。同校が所在する浦添市はかつての琉球王国発祥の地であり、同校周辺は67年前の沖縄戦で激戦地となった。沖縄の本土復帰40年の節目となる今年。浦添商の熱い夏は始まったばかりだ。

 ▼浦添商・照屋 肘痛で苦しんだときは焦るなと励ましてくれた。自分の方が球は速いが、それ以外は見習いたい。

 【浦添商2度の夏ベスト4】

 ▽97年 強力打線で1回戦の岩倉を9―2で下したのを皮切りに準々決勝まで4試合で計35得点。準決勝は一転して投手戦となり、エース上間が0―0の延長10回に力尽きてサヨナラ負けした。

 ▽08年 最速148キロの右腕・伊波を中心に進撃。1回戦で辛島(現楽天)を擁する同じ九州勢の飯塚に完封勝ちすると、関東勢(千葉経大付、関東一、慶応)を次々に撃破。準決勝は常葉学園菊川に敗れた。

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2012年8月11日のニュース