興南、沖縄勢2校目の頂点へ!初決勝で日大三と激突

[ 2010年4月3日 06:00 ]

2回1死、興南・山川は右越えに先制ソロを放つ

 【センバツ第11日 興南10-0大垣日大】前日の雨で順延となっていた準決勝1試合が行われ、興南(沖縄)が昨秋明治神宮大会覇者の大垣日大(岐阜)を10―0で下して初の決勝進出を果たした。打線が15安打を放てば、大量得点に守られたエース島袋洋奨投手(3年)が7回無失点と好投。完封リレーで快勝した。沖縄勢として08年の沖縄尚学以来2年ぶりの優勝を目指して、1日の準決勝で決勝進出を決めている日大三(東京)と対戦する。甲子園決勝で東京―沖縄の顔合わせは初めて。

 母校を率いる59歳指揮官の一言がすべてを表していた。「選手たちが新しく生まれ変わった気がする。センバツで1勝して肩の荷が下り、やるべきことを伸び伸びやっている」。2試合連続完封勝ちに、初戦から全4試合で2ケタ安打。投打で圧倒して初の決勝進出に我喜屋(がきや)監督は満面に笑みを浮かべた。
 2回1死から山川の公式戦初アーチとなる先制ソロが合図だった。「目はストライクゾーンに残して振り抜け」の指示通り、全員がフルスイング。3イニングで8点を挙げて試合を決めた。好投手・島袋を擁しながら昨春、夏と初戦で敗退。「打てない興南」と陰口を叩かれた打線が大きく成長した。
 沖縄勢として初めて4強入りした68年夏に同校主将だった我喜屋監督は、07年春に母校監督に就任した。68年の成績を超えられないチームを根本から変えた。時間にルーズな選手が多かったが、それを許さなかった。「1秒でも遅れたら翌日練習させてもらえないんじゃないかというくらい怖い」とナインを震え上がらせるほどだ。雨の日は素振り程度だった練習を、かっぱと長靴に着替えさせて打撃練習やノックを敢行。大昭和製紙の社会人野球で自身が培った分析力も導入した。細かいデータを基にした指示をナインに与え、それを実践する。沖縄特有の高い運動能力に、規律と勤勉さを融合させて質の高いチームをつくりあげた。ユニホームの胸のデザインも「興南」から68年当時と同じ「KONAN」に戻して原点回帰した。
 雨で1日休養した左腕エースの島袋は6回2死まで無安打投球。大量リードもあって7回2安打でマウンドを降りて決勝戦に備えると「疲れはない。決勝でもきょうのような投球をしたい」と意気込んだ。
 返還前の沖縄から、パスポートを持って甲子園で旋風を巻き起こしてから42年。ナインは大きな壁を乗り越えた。紫紺の大旗に王手をかけた我喜屋監督は「このチームは最初から頂点に立つためにやってきた」と言い切った。

 <我如古、大会記録にも王手>強力打線を誇る日大三にも負けない猛打を引っ張るのが、1、2回戦で大会タイ記録となる8打数連続安打を達成した我如古(がねこ)だ。この日も2安打で今大会通算12安打。決勝の相手、日大三・山崎と並んで95年に観音寺中央の室岡がマークした大会記録の13本まであと1本と迫った。3日の決勝で2安打以上なら大会記録更新となるが「記録?分かってました。決勝ですけど記録も意識して狙っていきたいです」と強心臓ぶりを発揮していた。

 <島袋、日大三打線封じに気合>試合後の興南ナインは疲れた様子も見せずに、大阪市内の宿舎でくつろいだ。ジャージーに着替えた島袋は「日大三は打のチームなので低めに集めたいです。そうすれば長打を打たれることはない」と決勝戦に向けてイメージを膨らませていた。一方、我喜屋監督は「日大三の情報はゼロに近い。これからビデオを見て映像をインプットさせます」と情報収集に余念がなかった。

 ▼具志堅用高氏(ボクシング部OB、元WBA世界ライトフライ級王者)優勝するな、これ。いつもの沖縄代表と違うよ。我喜屋監督にもさっき電話して「おめでとうございます」と、先にお祝いを言っちゃったよ。午前1時までテレビの収録をして、朝8時の飛行機で応援に行きます。普天間基地問題どころじゃない。総理大臣も見に来てほしいな。

 ◆68年の興南旋風 当時の沖縄はまだ米国の統治下。興南ナインは那覇から鹿児島まで船で19時間、さらに寝台列車で18時間かけて甲子園入りした。1、2回戦を順当に勝ち上がると3回戦で岐阜南を下して県勢初の8強入り。準々決勝で盛岡一を10―4で下した準決勝では興国に0―14で敗れたが、試合後は大歓声が送られた。快進撃に沖縄全島が盛り上がり、試合中には那覇市内の目抜き通りは、がら空きとなったほどだった。

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2010年4月3日のニュース