さらば“たきざわ~”さらば怪物~

[ 2008年6月28日 06:00 ]

 競輪界の怪物・滝沢正光(48=千葉・43期)が29年3カ月のバンク人生に別れを告げた。25日に「報道関係者に報告したいことがある」と申し出た滝沢の記者会見が27日、都内のホテルで行われ、24日の富山記念を最後に引退することを表明した。引退後は日本競輪学校の名誉教官として後進の指導にあたる。

 ファンに愛され続けた滝沢らしいあいさつだった。会見の冒頭、多数のフラッシュの前で直立不動。レース直前の発走台を思わせるように大きく息を吸い込んで語り始めた。
 「私、滝沢正光は先日(24日)の富山競輪を最後に引退することを決意しました。29年3カ月の間、本当にありがとうございました」
 79年4月プロデビュー。バレーボール出身の適性組で、在校成績は108人中42位。「練習しかない」。血尿、おう吐は当たり前…。滝沢の猛練習は過酷を極めた。一緒に練習する仲間は“体が壊れる”と敬遠するほどペダルを回し続けた。「練習はウソをつかない」。その言葉を信じた。
 逃げて逃げて逃げた。そのひたむきさは特別競輪初優勝となった84年3月の千葉ダービーで実を結んだ。以降は85年に初の賞金王、そして87年には特別競輪3連覇を含む13場所連続優勝の大記録。その人間離れした強さに誰もが“怪物”と舌を巻いた。90年11月の競輪祭優勝で史上2人目のグランドスラム(全冠制覇)を達成。史上最強の名を欲しいままにした全盛時代だった。
 強いだけでなく誰からも愛された。全盛時を過ぎ始めた93年のグランプリ。「枯(か)れ始めた自分が勝ててうれしい」と雄叫びを上げた滝沢に多くのファンが涙した。その後も滝沢の走るレースは“たきざわ~”の声援がこだました。
 29年3カ月の現役生活には「悔いはない」。つらかったことはの問いには「(先行選手として)自分だけ届いた時とか不発で後ろの選手に迷惑をかけたこと」と最後の瞬間まで身も心も先行選手だった。今後は日本競輪学校の名誉教官として「魅力ある選手(すなわち第2、第3の滝沢)の育成」に力を注ぐ。

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2008年6月28日のニュース