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【浜田剛史 我が道14】何かに頼らず自分の体で戦う 左手人さし指に埋め込んだプレート除去して…

[ 2026年1月15日 07:00 ]

タオルでつったダンベルを歯でかんで首を強化
Photo By スポニチ

 左手の神経を取れないか、と医者に相談したこともありました。左手中指の拳部分と、骨折した人さし指の神経がなければ、痛みは感じなくて済む。強いパンチが打てると思ったんですね。

 最初は「できる」という話でした。でも、その部分の神経だけを取るのは難しいと。左手全体の神経を取ることになる。痛みを感じなくなると、拳が壊れてしまうとも言ってましたな。医者も困ったんでしょうね。

 そして、もう一つ大きな決断をしました。

 「あんたは、プレートとか、そういうものに頼る人じゃなくて、自分の体ごとやった方が、わたしはいいと思うわ」

 マネジャー(長野ハルさん)の言葉です。4度も骨折して、手術後も2度、亀裂骨折をした。もう、いいと思うことは何でもやる、何かに頼っちゃいけない。そういう心境になっていたとき、この言葉は、「自分の体で戦う」という気持ちにさせてくれました。

 医者としたら反対でしょうね。一番いいと思う手術をしたわけですから。でもそのころは、病気を治すのは、医者でもない、薬でもない、時間だと。それならば、自分の体にするのが一番いいだろう、という気持ちになっていました。

 1983年(昭58)3月7日、左手人さし指に埋め込んだプレートの除去手術を受けました。同時に、中指の拳部分の痛みの原因だった腱の修復手術もしました。プレートの固定のために埋め込まれた4本のネジを取り、その空間を自分の骨にする。自分の体にするというのは、そういうことでした。

 左拳にいいことは、何でもする。それと同時に、練習量も一気に増やしました。ロードワークは10キロを15キロに延ばしました。

 打たれ強い体づくりもしました。入門時に「細いから鍛えろ」と言われた首のトレーニングは、タオルでつったダンベルを歯でかんで、上下に動かす練習をジムワークのときにしていました。それを朝のロードワーク後にもやり、仕事中の昼休みにも逆立ちやブリッジで鍛えました。

 腹筋、背筋といった体づくりだけでなく、右拳の強化も始めました。働いていたKKベストセラーズの倉庫には、鉄骨の柱がありました。それを、昼休みに素手で何発も叩きました。右拳は壊れないようにと。

 柳生十兵衛の話を聞いたんですね。左目を切られたら、左目をかばうのではなく、右目を守る。両目をやられたら、戦えない。左拳を折ったオレは、右拳も壊したら、どうにもならないですからね。

 2年間のブランクは災難だったかもしれないけど、ビクともしない体と強い右を鍛えることができた。長い目で見れば、いつか巡ってくるはずの「運」を逃さないための時間だったと思うんですね。

 ◇浜田 剛史(はまだ・つよし)1960年(昭35)11月29日生まれ、沖縄県出身の65歳。沖縄水産高で高校総体王者。帝拳ジムからプロデビューし、84年12月に日本、85年7月に東洋太平洋のライト級王座を獲得。86年7月にレネ・アルレドンド(メキシコ)を衝撃的な初回KOで破り、WBC世界スーパーライト級王座を獲得した。戦績は24戦21勝19KO2敗1無効試合。現在は帝拳ジム代表。

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