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プロレスリング・ノア 曙さんの追悼セレモニー、丸藤が遺影を持って10カウントゴング

[ 2024年4月11日 20:38 ]

06年1月のノア日本武道館大会で小橋にスプラッシュを見舞う曙さん
Photo By スポニチ

 プロレスラーとしても活躍した元横綱の曙太郎(本名=チャド・ジョージ・ハヘオ・ローウェン)さんが、心不全で死去したことが11日に分かった。同日、後楽園ホールで行われるプロレスリング・ノアでは第1試合前に追悼のセレモニーが行われた。

 第1試合開始前にノアの所属選手がリングサイドに集結。遺影を抱いた丸藤正道がリングに上がり、追悼の10カウントゴングが鳴らされた。10カウントが鳴り終わると場内には曙さんの入場曲が流れた。

 曙さんは大相撲を引退して以降、03年に格闘技界に進出。05年8月にはプロレスラーとしてもデビュー。デビュー戦の相手が武藤の化身グレート・ムタだった。その後は「武藤部屋」の弟子とレスラーとしての英才教育を受け、師弟コンビでプロレス大賞最優秀タッグを受賞するなど大活躍した。

 その後も新日本、全日本、ノア、ZERO―ONE、さらにはハッスルでもユニークなキャラクターを演じるなど幅広く活躍。13年9月からは全日本所属となり3冠へビー級王者にも2度君臨するなど活躍したが15年11月に退団。12月は自らが社長を務める新会社「王道」を立ち上げ、事務所をジャイアント馬場さんの自宅に構えるなど夫人だった馬場元子さんの全面的な支援を受けた。同年大みそかには総合格闘技イベント「RIZIN」でサップと12年ぶりの再戦。16年4月には「王道」の旗揚げ戦を行ったが17年4月の試合後に体調の異変を訴え、救急搬送された。自身も入院が長期化し、危険な状況だったが懸命なリハビリで回復した。18年9月下旬にも心停止に見舞われたことで重度の記憶障害が後遺症として残るなど再び危険な状態に陥った。19年12月にはかつての付け人で41歳で亡くなった東関親方(元幕内・潮丸)の弔問に訪れている。

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