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「黄金のバンタム」エデル・ジョフレ氏死去 86歳 敗れたのはファイティング原田戦の2度のみ

[ 2022年10月3日 10:58 ]

世界バンタム級タイトルマッチでファイティング原田に判定で敗れた、エデル・ジョフレ(1966年5月31日撮影)
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 プロボクシング元世界2階級制覇王者で「ガロ・デオ・オーロ(黄金のバンタム)」の異名を取ったエデル・ジョフレ氏(ブラジル)が2日、肺炎の合併症によりブラジル・サンパウロ州のエンブーダスアルテスにあるクリニックで亡くなった。86歳だった。3月から入院していたという。

 ジョフレ氏は56年メルボルン五輪出場などアマで150戦148勝2敗の成績を残し、57年3月にプロ転向。ガードを高く上げて打ち抜く強打を武器に、78戦72勝(50KO)2敗4分けと驚異的な戦績を残した。60年11月にエロイ・サンチェス(メキシコ)に6回KO勝ちして世界バンタム級王者となり、矢尾板貞雄(中村=ノンタイトル戦)、コニー・コールドウェル(英国)、ジョー・メデル(メキシコ)、青木勝利(三鷹)らをいずれもKOで撃破。9度目の防衛戦となった65年5月18日、ファイティング原田(笹崎)に1―2で判定負けして王座を失ったが、今でも「史上最高のバンタム級王者」と呼ばれる。

 66年5月の原田との再戦に0―3で判定負けして一度引退したが、3年のブランクを経て69年に現役復帰。73年5月にホセ・レグラ(キューバ)に判定勝ちしてWBC世界フェザー級王座を獲得し、2階級制覇を達成した。73年10月にはビセンテ・サルディバル(メキシコ)にKO勝ちして初防衛に成功も、その後は防衛戦を行わずに王座を剥奪。トレーナーだった父親の死を受け、76年に引退した。プロで敗れたのは原田戦の2度だけだった。

 菜食主義者で知られ、引退後はスーパーマーケットを経営しながらトレーナーも務めた。92年に国際ボクシング殿堂入りしている。

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