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沢村忠さん悼む・二宮清純氏特別寄稿 昭和の英雄の回し蹴りには芸術美があった

[ 2021年4月2日 05:30 ]

1976年1月12日、テパリット・ルークパンチャマに強烈なとび蹴りをお見舞いする、キックボクシング東洋ライト級チャンピオン・沢村忠さん

 TBS系列でウルトラマンがスタートしたのは1966年7月である。この3カ月前、日本キックボクシング協会が旗揚げされ、沢村忠なるキックボクサーがデビューした。

 ウルトラマンと沢村には共通点があった。ともに相手を一瞬で仕留める必殺技を有していた。ウルトラマンがスペシウム光線なら、沢村は真空飛び膝蹴りである。私たちの世代の男性で、この2つの技を真似(まね)しなかった者は、まずいないだろう。

 スペシウム光線は手でポーズを真似るだけだから、人さまに迷惑をかけることはない。だが真空飛び膝蹴りは違った。放課後の教室ではガラス窓が割れ路上の車のボンネットはへこみ、家では鼻血を流す弟がいた。

 ある日突然、四国の片田舎の小学校で「真空飛び膝蹴り禁止令」が出された。なぜザ・デストロイヤーの「4の字固め」はよくて、沢村の飛び膝蹴りはダメなのか。校長いわく「学校は鬼を育てる場所ではない」。子供たちのヒーローである“キックの鬼”は、しかし、先生方には迷惑なシロモノだったのだ。校長ときたら、全くケツの穴の小さな野郎だった。

 241戦して232勝(228KO)5敗4分け。勝率9割6分3厘。試合終盤、真空飛び膝蹴りがタイ人のアゴに突き刺さる瞬間をテレビの前で固唾(かたず)をのんで見守った。フィニッシュと同時に流れるYKKファスナーのCM。「締まりがいいな」。フフッと笑って死んだオヤジは言った。

 記憶に残っているのは、全て負けた試合だ。16度のダウンを喫したデビュー直後のサマンソー・アディソン戦。そして“最強神話”が崩れたチューチャイ・ルークパンチャマ戦。沢村を失神寸前に追い込んだチューチャイの右ストレートは、さながらテロリストが放った“褐色の凶弾”のように映った。あの沢村が担架で運ばれるなんて…。それは不敗のウルトラマンがゼットンに倒されて以来の衝撃だった。

 子供たちが沢村に夢中になったのは、国民的必殺技となった真空飛び膝蹴りの所為(せい)ばかりではない。回し蹴りを放つ際、やや短めの白いトランクスから筋肉質の臀部(でんぶ)がのぞくのだが、これが“躍動美の極み”と呼べるほど美しいのだ。

 キックボクシング解説者の直木賞作家・寺内大吉は生前、「沢村君の回し蹴りは流線形なんだよ」と語っていた。格闘を芸術の域まで高めた男・沢村忠。昭和のヒーローが、またひとり鬼籍の人となった。合掌。(スポーツライター)

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