「キックの鬼」沢村忠さん死去 真空飛び膝蹴り武器に228KO 自身題材アニメは視聴率30%超

[ 2021年4月2日 05:30 ]

1970年1月2日、キックボクシング東洋ライト級タイトルマッチで、チャンピオン・沢村忠さん(左)の回し蹴りが、タイ国ウェルター級2位・ソムチャイ・ルークパンチャマの顔面を襲う

 「キックの鬼」と呼ばれ国民的な人気を誇った伝説のキックボクサー、沢村忠(さわむら・ただし、本名・白羽秀樹=しらは・ひでき)さんが3月26日、肺がんのために死去した。78歳だった。1日、親族が発表した。空手から転向し必殺「真空飛び膝蹴り」を武器に228KOをマーク。テレビアニメの視聴率も30%超えするなど、人気を博した。30日に近親者のみで葬儀を執り行った。

 昭和の国民的英雄で、数々の伝説を残したキックボクシング界の巨星が墜ちた。関係者によると昨夏に体調を崩し、千葉県内で闘病していたが、3月26日に帰らぬ人となった。

 日大芸術学部時代には空手四大流派の一つ剛柔流で、全日本学生選手権を制覇するなど無敵を誇った。その後、キックボクシングの名称を考えた野口ジム会長の野口修氏(故人)と出会い、転向。66年4月11日、日本キックボクシング協会の旗揚げ戦で目黒ジムからリングネーム「沢村忠」でデビューした。

 沢村さんは抜群の跳躍力を生かし高くジャンプした状態で空中で相手の後頭部あたりに蹴りを放ち、膝で打ち込む「真空飛び膝蹴り」で一世を風靡(ふうび)。自らの半生が描かれたアニメ「キックの鬼」(梶原一騎原作)はテレビ放送で30%超えの高視聴率を獲得。爆発的な人気を集めた。

 73年には、3冠を達成したプロ野球の王貞治を抑え「日本プロスポーツ大賞」を受賞。77年に引退した後は都内で整備工場を経営する傍ら、町道場で子供たちにキックボクシングを教えるなど普及にも携わった。

 19歳で沢村さんの付け人を務めた新日本キックの伊原信一代表は「太陽のような人。酒は飲めなかったが、女には本当にもてた」と明かす。派手な世界でも出番前は前座から観戦し、試合後にはアドバイスを欠かさなかったという。晩年は公に出ることはなかったが、現在でも人気アニメ「ポケットモンスター」に登場する「メガトンキック」などを得意とする「サワムラー」のモデルとされるなど、伝説は生き続けている。

 ▼渡嘉敷勝男(元WBA世界ライトフライ級王者) 沢村さんとは25年ぐらい前にテレビ番組の仕事で初めてお会いしました。ゴルフコンペなどに誘っていただき、とても優しくて紳士な方でした。私も空手をやっていたし、キックボクシングもよく見ていたのでお会いした時は本当にうれしかった。力道山の後に出てきた格闘技界のスター、国民的なヒーローでした。

 ◆沢村 忠(さわむら・ただし)本名・白羽秀樹。1943年(昭18)1月5日生まれ、満州新京出身。祖父の影響で空手の原点である中国唐手を学び、日大時代は空手で無敗。プロモーターの野口修氏と出会ってキックボクシングに転向し、66年にデビュー。77年10月に引退を発表した。生涯成績は232勝(228KO)5敗4分け。現役時代のサイズは1メートル74、61キロ。

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