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ファイティング原田、世界中が度肝を抜かれた世紀の大金星――“黄金のバンタム”の不敗神話破った

[ 2020年5月18日 05:30 ]

1965年5月18日 エデル・ジョフレを判定で下し肩車をされ喜ぶファイティング原田
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 【Lega-scene あの名場面が、よみがえる。~ボクシング編~】昭和、平成の名場面をスポニチ本紙秘蔵写真で振り返る「Lega―scene(レガシーン)」第7弾はプロボクシング。日本の歴代世界チャンピオンで別格に位置づけられるのが、フライ級とバンタム級で国内初の2階級制覇を達成したファイティング原田です。1965年(昭40)5月18日、50戦無敗を誇っていた世界バンタム級王者エデル・ジョフレ相手の番狂わせは、世界に衝撃を与えました。

いつもの人懐こい笑みではなく
原田は涙で顔をクシャクシャにした。
判定を聞いて一瞬
驚きの表情を見せたジョフレも
新王者を抱きかかえて祝福した。
「ガロ・デ・オーロ(黄金のバンタム)」
と呼ばれた男の不敗神話を崩す大金星。
2年4カ月ぶりに
世界王者へ返り咲いた。

予想は「原田が何回まで持つか」だった。
鉄壁のガードと
一撃必殺のパンチを持つジョフレは
8連続防衛を含む17連続KO中。
2年前には原田のライバル
青木勝利も3回でKOしている。
だが、原田は4回、右アッパーで
王者を吹っ飛ばして猛ラッシュ。
5回には逆に
ダウン寸前に陥ったものの
9回からはこの試合へ向けて
磨いてきたフットワークでかわしつつ
要所で止まらない連打を浴びせ
無尽蔵のスタミナを見せつけた。
 
判定は71―69、71―72、72―70の2―1。
一進一退の死闘で
原田がイメージと正反対の
アウトボクシングに転じた
9、10回の優勢が勝敗を分けた。

作家・黒岩重吾氏はスポニチの観戦記に
「超人的ともいえる
原田のロード・ワークの勝利」と記した。
1年後の再戦も3―0の判定勝ち。
今もバンタム級最強の一人
と評されるジョフレが喫した黒星は
原田戦の2つだけである。

 《「5点法」で採点》当時のボクシングの採点は「5点法」だった。一方が優勢なら5―4、ダウンがあれば5―3。ダウンなしのこの試合でも4回はジャッジ1人が原田、5回は2人がジョフレの5―3としている。だが、3者とも5―5のラウンドが4度あったように微差が反映されにくく、現在の「10点法」に変わった。当時はレフェリーも採点する1人だったが、原田が69年7月に敵地オーストラリアでWBCフェザー級王座に挑戦した際はレフェリーだけが採点を担当。ダウンを3度奪いながら全て5―4とされ、69―70の不可解な判定負けで3階級制覇を逃した。

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