【阪神90周年企画】初代主将・松木謙治郎氏の素顔とは 「マルモリ」振付師の娘が明かす思い出

[ 2025年6月17日 05:15 ]

松木謙治郎氏と濱田“Peco”美和子さん
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 球団の草創期を支えた猛虎の将の素顔とは――。タイガースの創設初年度である1936年(昭11)のメンバーで、初代主将を務め、のちに第3代、7代監督も担った松木謙治郎氏は、家庭内ではどんな姿を見せていたのか。愛娘で、「マル・マル・モリ・モリ!」の振付師や歌手、作曲家として活躍する濱田“Peco”美和子さんが本紙の取材に応じ、間近で接してきた父の思い出を振り返った。(山手 あかり)

 松木氏は猛虎の初代主将として、「打倒・沢村栄治」を掲げて巨人に負けまいとチームを引っ張り、37年春に首位打者と本塁打王に輝いた。40年に選手兼監督に就任し、戦時の従軍を経て50年に監督に復帰。プロ野球歴代24位の通算628勝(阪神指揮官としては460勝)を挙げた。

 「ちょっと偉大すぎて…日常会話をちゃんとしていなかった」

 美和子さんは当時を思い返し、懐かしそうにほほ笑んだ。松木氏は53年にミサ子さんと再婚し、兄・愼一郎さんと美和子さんが誕生。子供のころに舌を出す癖があった愛娘の姿を見て、不二家のマスコットキャラクター「ペコちゃん」に似ていたことから父に「ペコ」と呼ばれるようになった。

 お酒が大好きな父。夏はウイスキーのロック、冬はお湯割りを飲むのが目覚めのルーティンだった。午後のお供は紅茶にウイスキーを入れたオリジナルブレンド。晩酌の定番は日本酒で、お風呂上がりにはまたウイスキーを飲んで寝床へと向かった。「亡くなっているから私のただの想像ですけど、凄くシャイな人だからいつも(お酒で)ちょっと覚醒した方が、自分が楽だったのかな、という気がします」。お酒を飲んでいる時だけ、ちょっぴり陽気になる父の姿がほほ笑ましかった。

 普段は寡黙で多くは語らないが、おちゃめな一面もあった。幼少期の美和子さんは、自他ともに認める雨女。学校行事でことごとく雨に降られる愛娘の姿を見かねて、父が思わぬ行動に出た姿が、今でも浮かぶ。「父が私のために“自分がてるてる坊主だから”と言って外に頭を出してくれる時があった」。吉田義男をはじめ、幾多の名選手から慕われた松木氏。意外な素顔も、人の心を引きつけるゆえんだったのかもしれない。

 松木家では子供の頃からずっと守られてきた“おきて”があった。「父の職業を娯楽にしてはいけない」。美和子さんの幼少期には既に阪神の監督を退き、東映(現日本ハム)の打撃コーチや監督、NHKの解説者などを歴任していたが、テレビ観戦をした思い出も球場に訪れた記憶も一切ない。毎日、父は自室で日々の試合を分析してスクラップ帳に記していたが、その姿さえも母からは「見ちゃいけない」と教え込まれていたという。家庭に仕事のことは持ち込みたくない意志を尊重してのことだった。

 阪神の監督時代、2位は3度あったが惜しくも頂点には届かなかった。亡くなる1年前、85年には吉田義男監督が率いるチームの21年ぶりのリーグ優勝と、球団史上初の日本一を見届けた。

 同年12月に友人らと祝賀会を兼ね、温泉旅行に出かけた直後に体調不良で入院した。長時間の大手術を終えて目を覚ますと「悪党は死なずやな」とニヤリと笑った。家族は一瞬、あっけにとられながらも「一発目がこれ?」と、一同泣き笑い。一度は好物の焼き鳥や寿司を食べられるまでに回復した父だが、数カ月後に帰らぬ人となった。

 「情けない感じになってまで生きていなかった。別に激やせもないし、最後まで父らしかった」

 猛虎の礎をつくった男は、勇ましい姿のまま天国へと旅立った。

 ≪「1番・一塁」で第1期黄金時代に貢献≫松木謙治郎氏は1909年(明42)1月22日に誕生。福井県敦賀市出身で敦賀商(現敦賀高)、明大、名古屋鉄道局、大連実業団を経て、36年の球団創立メンバーとして阪神に入団した。左投げ左打ちで、長打と走力を生かして主に「1番・一塁」でプレー。初代主将として「打倒、巨人・沢村栄治」に心血を注ぎ、37年春に首位打者と本塁打王に輝いた。37年と38年の年度優勝決定戦では、2年連続で巨人を下す第1期黄金時代に貢献した。

 40年から選手兼任監督を務めて41年限りで退団後、戦争を挟んで50年に復帰した。選手としての通算成績は479試合出場で打率.263、18本塁打、224打点、94盗塁。52年から専任監督で、54年まで通算7年チームを率いた。阪神退団後は大映(現ロッテ)、東映で監督を務め、通算628勝(602敗25分け)は歴代24位で78年に野球殿堂入り。86年に77歳で死去した。

 ≪「ポニョ」も振り付け≫◇濱田“Peco”美和子(はまだ・ぺこ・みわこ)10月22日生まれ、東京都出身。3歳からクラシックバレエ、タップダンス、ピアノを始める。現在は歌手、振付師、作曲家、作詞家として活躍。振付師としての代表作は、07年リリースの藤岡藤巻と大橋のぞみ「崖の上のポニョ」、11年リリースの「薫と友樹、たまにムック。」の「マル・マル・モリ・モリ!」。血液型B。

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