ON 涙雨の別れ「顔を見られて、凄くホッとした」106度のアベック弾、指揮官では対決 永遠の絆に感謝

[ 2025年6月4日 05:25 ]

長嶋茂雄さん死去

宮崎キャンプで同室になり布団を並べて生活し、長島茂雄(長嶋茂雄、左)のタバコに火をつける王貞治 (1959年撮影)
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 涙雨が降っていた。その中で、長嶋さんの自宅を弔問した。訃報に驚いたソフトバンク王貞治球団会長は道中「暗い気持ちでしかなかった」と車に揺られた。対面を果たすと心持ちは変わった。

 「長嶋茂雄という人が昔と変わらずにいた。静かに横たわっている感じだった。顔を見られて、凄くホッとした」。昭和の野球界を熱狂させた「ON」だけの絆だった。ヤクルト、巨人に在籍した長男・一茂氏、次女の三奈さんとも対面した。

 長嶋さんの5学年下。巨人には1年遅れの59年に入団し、V9の両輪としてチームをけん引した。入団直後は寮が同部屋で「私は寝相は悪いわ、いびきはかくわで迷惑をかけた」と、約1週間ほどで部屋替えがあったことを懐かしんだ。

 長嶋さんの引退試合を含め、ONアベック弾はプロ野球史上最多の106度。打撃3部門のタイトルを獲り合い、自身は73、74年と2度の3冠王に輝いた。長嶋さんには「ワンちゃん」と呼ばれ、「ユーモアがあり明るく、何でも許されちゃう不思議な魅力のある特別な存在」と引きつけられた。目に焼き付いているのが体勢を崩されながら安打する姿。世界記録の通算868本塁打は「存在感ではかないませんから、とにかくバットで。数字でしか争えない。もっと近づきたい」という競争心が原動力になった。

 00年の日本シリーズでは指揮官として「ON対決」が実現。ダイエー(現ソフトバンク)監督6年目の悲願だった。2勝4敗で敗れたが「世紀の変わり目の素晴らしい日本シリーズ」と脳裏に刻む。自身も胃がんという大病を患ったが、長嶋さんが脳梗塞から復帰を目指すリハビリ姿に「退くことのない人生だった」と胸を打たれた。

 68年9月18日の阪神戦。頭部死球を受けて病院に運ばれる途中、長嶋さんが3ランを放ち「悔しさを晴らしてくれた」ことも、ふと思い出した。「燦然(さんぜん)と輝く長嶋さんが旅立たれてしまったことは本当に残念。一緒に野球ができたことを感謝しています」。永遠のライバル同士が残した栄光は、輝き続ける。 (神田 佑)

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